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「9.11アメリカ同時多発テロの被害を偲ぶ」 

本日9月11日は

(正確には事件が発生したのは日本時間で11日21時46分。この記事を書いている頃は現地は11日になっていないのですが、御愛敬)

2001年にアメリカ合衆国でイラクの一部勢力によって
複数の自爆テロが引き起こされた日ですね。

もう13年も前にになる出来事ですが、
とーしろさんは当時もそれ以後も、お恥ずかしいことながら
「大きなテロ災害で沢山の人名が失われた」
程度の認識でしたが、
アメリカ国際社会ではこれを切っ掛けに、その後「アフガニスタン紛争」「イラク戦争」に発展したそうですから、この事件がおとした影は人死に以外でも甚大であったことでしょう。
それをうっすらとしか理解していなかったのですよね。

社会情勢に疎いモノ書きの卵、とーしろさん。

けれど現在、改めてこの事件の情報に触れてみると、
やはりテロによって多くの命が失われたことに焦点が合わさざるを得ません。

ですので、今回の記事は「アメリカ同時多発テロ事件」の
被害実数などをつらつらと述べていきたいと思います。

この実態を読んで、この事件がいかに大それた、国家的、世界的に大事だったかをあらためて皆さんに認識して頂ければ、とも思います。


 ――――――――――――――――――――

(wikipediaより抜粋)
この事件はアメリカ現地11日。
マサチューセッツ州ボストン、
バージニア州ダレス(ワシントンD.C.近郊)、
ニュージャージー州ニューアークを発った4機の旅客機が、
モハメド・アタを中心とするアラブ系のグループによってほぼ同時にハイジャックされ引き起こされた。

ハイジャック犯たちは操縦室に侵入して操縦し、
2機(アメリカン航空11便、ユナイテッド航空175便)
をニューヨーク・マンハッタンへ、
残り2機(アメリカン航空77便、ユナイテッド航空93便)
をワシントンD.C.へ向かわせた。

これら4機がいずれもアメリカ合衆国国内線の中では長距離飛行に入るルートを飛行する便であった。
そのため長距離便のために燃料積載量が多く、衝突後の延焼規模を多くすることを狙ったと推測する者もいる。

なお、ハイジャックされて激突・墜落させられた旅客機の乗客・乗員は
全員死亡したそうです。

<ハイジャックされた各便の顛末>

・アメリカン航空11便
乗客81名・乗員11名。
午前7時54分に遅延出発し、午前8時14分頃にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。
午前8時23分に進路を急に南向きに変え、
午前8時46分にニューヨーク世界貿易センターの超高層ビルであるツインタワー北棟(110階建)に突入し爆発炎上した。

これがいわゆる「同時多発テロ」の初動。

離着陸時の事故と違い機体の残骸はほとんど原形をとどめなかった。
先に記したように、当然生存者などいない。

・ユナイテッド航空175便
乗客56名・乗員9名。
午前8時14分に遅延出発した。
管制部とアメリカン航空11便のハイジャックに関する交信を交わした後、午前8時43分頃までにハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。

直後にアメリカン航空11便を追うようにニューヨークへ進路を変え、
午前9時3分に世界貿易センタービルのツインタワー南棟(110階建)に突入し爆発炎上した。

アメリカン航空11便と違い、強引な左旋回中に衝突したため、
多くの階を巻き込み、衝突時に多くの死亡・負傷者をだした。
またその衝撃の強さから先に衝突した北棟より早く南棟が崩壊している。

・アメリカン航空77便
乗客58名・乗員6名を乗せて、午前8時20分に出発。

午前8時50分ごろまでにハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。

直後に進路を北向きに変えた後、南へ転回、その後東へ進路を変えた。
最初の進路離脱から3分間は管制塔と機長が交信していたが、通信不能となった。
そして午前9時38分、バージニア州アーリントンにある
アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)に激突し、爆発炎上した。

激突の瞬間の映像がペンタゴンの駐車場の監視カメラによって記録されていた。
映像によると機体は水平の状態で地面を滑走しながらペンタゴンに衝突。
高速で建築物に激突・炎上したため機体の残骸はほとんど原形をとどめなかった。

・ユナイテッド航空93便
午前8時42分、乗客37名(日本人1名を含む)(乗客37名中4人はテロリスト)・乗員7名を乗せて、滑走路の混雑で30分遅延で出発した。

93便離陸の僅か数分後、アメリカン航空11便が世界貿易センター北棟に激突した。

乗客の機内電話からの通報によると、午前9時27分にハイジャックされ、コックピットを乗っ取られた。

オハイオ州クリーブランド付近で進路を南に変え、さらに南東へ向かった。
ワシントンへ向かうことを管制官に通告、標的はアメリカ合衆国議会議事堂かホワイトハウスであったと推測されている。

午前9時57分、機内電話や携帯電話による外部との連絡で、
ハイジャックの目的を自爆テロと認識した乗客が機の奪還に乗り出す。

乗客たちがハイジャッカーたちに反撃した際に
「Let's Roll.(さあやろうぜ)」
を合図にしたと言われている。
この9・11事件以降のアフガニスタンへの「報復戦争」において、
この「Let's Roll」は軍用機に描かれたり、
空母乗組員が人文字を空中撮影する際に用いられたりするなど、
しばらく「テロと戦うスローガン」とされた。

その僅か数分後、世界貿易センタービル南棟が完全崩壊した。

しかし乗客はコクピット内に進入できず、
テロリストの操縦により機体を墜落させたと結論づけている。
午前 10時3分、ペンシルベニア州シャンクスヴィル(ワシントンD.C.北西240kmの場所)に時速580kmの対気速度で墜落した。

被害は航空機の乗客、乗員だけにとどまりません。
機体の衝突による爆発、炎上、建物の崩壊、崩落などに巻き込まれ命をおとした人間も含まれます。

ツインタワーは爆発的火災が発生。
特に北棟で人的被害が大きく、
死者は約1,700人(救護活動中の消防士を含む)であった。
特に突撃を受けた92階以上に被害が多く、この階の在館者全員が死亡したと言われている。

北棟および南棟の崩落による影響で、
敷地内の他の4つのビルも崩落・炎上。
8時間後に敷地北隣の高層ビル・世界貿易センター7号棟もともに崩落。
道路は完全に封鎖、世界貿易センターの地下をターミナルとしていた
地下鉄やパストレインもトンネルの崩落で走行不能に陥った。
これらのことからニューヨークでは
合計で2749人が死亡するという大惨事になった。

この事件以降、世界貿易センタービル跡地は
「グラウンド・ゼロ(爆心地)」とも呼ばれている。

アメリカ国防総省本庁舎(ペンタゴン)は
9時38分にアメリカン航空77便(ボーイング757)の突入を受けた。
大爆発が引き起こされてビルの一部は炎上し、
10時10分に4階が崩壊、10時15分に1階までが全て崩壊した。
77便の乗客・乗員全員が死亡し、
189人の国防総省職員も死亡した。

テロによる犠牲者

この無差別テロ事件の犠牲者は、
すべての死者を合計すると3,025人とされている。

判明している内訳はハイジャックされた
4機の旅客機の乗員・乗客が246人、
アメリカ国防省で125人。
世界貿易センタービルで2,602人とされている
(あくまで「確認された人数」ということであり、実際には多少の誤差があると言われている)。

このうち世界貿易センタービルでの死者数には、
ニューヨーク市消防署の消防士343人、
ニューヨーク市警察の警察官23人、
ニューヨーク港湾管理委員会の職員37人が含まれている。
世界貿易センタービルではこの事件の被害者と思われる24人の行方不明者がいる。なお、ビルの残骸に含まれていたと考えられる
約1,100人の遺体は最後まで発見できなかった。
遺体はもちろんあらゆるものが、粉々に破壊されて散乱した。
近隣のビルの屋上で発見された遺体の破片もある。


この事件から
アメリカ合衆国政府は捜査の結果から、
このテロ攻撃がサウジアラビア人の
オサマ・ビンラディンをリーダーとするテロ組織「アルカーイダ」
によって計画・実行されたと断定し
(アルカーイダはこれを否定しなかったが、肯定もしていない)、
彼らが潜伏するアフガニスタンのターリバーン政権に引き渡しを要求した。

しかし、ターリバーン側は、
「証拠があれば引き渡す。しかし、今の段階ではアルカーイダのやったこととは断定できない。」
と主張し、引き渡しを拒否。
これに対してアメリカ合衆国軍はアフガニスタンのターリバーン政権に対して
攻撃を開始した。

またその後、この事件が影響し
「アフガニスタン紛争」「イラク戦争」に発展した。

 ―――――――――――――――――


アメリカほど大きな国にこれほどの規模の暴力を示し、無辜の人死にを与え、
国家の威信にも唾を吐きつけたに等しいこのテロ行為。

首謀者側にいかに政治的意思と負の想念があったにしても、
これだけの被害が出る行為を起こす、その意志の頑強さは、
もはや凶器にして狂気に感じます。

尾田栄一郎作の「ONEPIECE」で
世界政府に喧嘩を売るというのが描写されましたが、
主人公のルフィがいかにぶっ飛んだマネをしていたのかを
類例を以って学んで今更のように納得しました。

自分としても国際社会のこのテロへの反応はもっともだとも考えます。

国家はテロに屈しては立ち行かないですからね。

ただ、それは報復の戦争行為を許容することに他ならないのでしょう。

平和ボケしている国民に部類される自分としても、
「戦争は嫌だ、お断り」
という気持ちは当然湧きあがるモノであり、
いち創作家にすぎない自分には国家と、人々の安全の為に戦うという事は
おそらく物理的に難しいでしょう。

そう思うと、かつての戦争で
「お国と民衆の為」に命を投げ出した、投げ出さざるを得ない立場にいた
人達の苦渋と決意の意志が慮れます。

過去も今現在も、そうして戦う人達がいるうえに、自分のような者たちの
安穏はあるのだな、と痛み入ります。

これを以って、自分の書くモノにも何かフィードバック出来れば、
それがせめてもの出来うる事ではないのか?と胆に据える想いで、
今日の大規模テロという日に起こった出来事と、
それによって失われてしまった多くの命への哀悼の意として
記事としたいです。

とーしろさんは、この事件で出た被害によって、
そんなことをつらつらと思ったのでした。

ちなみに、このテロ事件の流れを綴った映画
「ユナイテッド93」
が2006年に公開されたそうです。

映画「ユナイテッド93」


先日からレンタルショップで探していたのですが、
いかんせん、既にこれも8年が経過しているせいか見つからなかったです。

大惨事であったにも拘わらず、少しずつ人々の心から傷が癒えていっているのでしょうかね。

そんな今日は、
この事件以後2002年より
「アメリカ愛国者の日」
となっているそうです。

長くなりましたが、御精読に感謝を。
ではでは。

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