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「『四月は君の嘘』追走!詳細設定・伏線考察Coda3」 



君嘘の設定・伏線考察、第3回になります。
いい加減前置きもイイ感じで。

ただですね、

ああもう!
視るたびに何かしら新たな発見というか気付きを得るの、
自分君嘘好きすぎるなあ、もうもう。

と、この記事を書くうえで思ったりしました。

ただベクトルが2次創作とかの派生的じゃなくて、
理解と納得なんですよ。君嘘に限っては。
それが自分の創作の糧に成ると了解しているから。

その理解と納得も、結構深い処にこれたのか、
どうか。
まだまだ読み解く余地が実はあるのではないか?
そんな事を考えつつ。

という訳で参りましょう!

君も行こう♪ヽ( ´∀`)ノうふふ♪





10.劇中の引用作品の意味。



前述の『いちご同盟』だけではなく、
君嘘の作中では他にも
アクセントして有名作が登場しますね。

スヌーピー』『オペラ座の怪人』。

これらは率直に言うと、
その作品のなかで原作者の新川先生が
もっとも推したい『このセリフ』を引用し、
キメルために作品が選ばれて
使われている節が強いです。

何故それが選ばれたのかは、
先生の好みとセンス、
君嘘でのエピソードに照らし合わせた、
などが考えられます。

『オペラ座の怪人』では、
凪会心の
「オペラ座の舞台に憧れる女の子」

『いちご同盟』では
かをりの辛い、
「私と心中しない』

そして注目したいのが、
『スヌーピー』で、
「さよならのキスをしてくれる人がいるんです」

⇑  ⇑  ⇑
もう、これを言わせるために他の作品でも
引用という手法を使ったのではと、
1番使いたいセリフを紛らわせるために、
他にも引用という体を採ったのではないかと、
そんな気にもさせられる使い方でした。

つまり、雪の病院屋上で密着して、

公生とかをりは『キス』しちゃったのおおお!!??

という想像を膨らませられるんですね。
うっははははっすみません。

でも、かをりと公生の恋心が何かしらの
結実をしていたらいいな~、なんて気もするんですよね。
(エロゲならまあ、最後までイッテそうですがw)


11.ヒロインの好きなモノ。



四月は98

椿はレモネードに思い出があって、
結構好きそうですよね。

これは
“甘酸っぱい初恋”の象徴のように受け取れますね。

で、かをりは前述のように、
カヌレを好きな事で公生が好き、
と密かに匂わせている訳ですが、

他にも、

ぬいぐるみが好き。

という話が出てきて、
これからも公生への好意が読み取れます。

ぬいぐるみ=人形=母親の操り人形=公生

また、病院から外出して公生と買い物に出掛けた際に、
迷子の子供を助けて、
「困っている人を放っておけない」
と口にしていますが、

これも公生が好き、という気持ちを匂わせていると
解釈できます。

困っている人=公生

ですね。


12.サブキャラたちのあれこれ。




椿を優しくふった斉藤先輩。


彼の創作的存在意義は、
椿の気づきの誘発以外にも、
主人公勢の中で特に“周辺の人間関係を描く人員”
として登場したこともあると思うのです。

本作は渡などで横の繋がりを描いていない。

これによって椿が掘り下げられ、
重要度が増し、
『椿が正ヒロインである』
という裏付けとされた、とも考えられる。


渡亮太とは。


小説版君嘘をとーしろさんは哀しいことながら、
まだ手にしていません。
(記事執筆当時。
2015年5月時点では購入して読了しています)

それによると、この小説版では渡についても
掘り下げられているとか。

しかし、それを読まないで思った事なのですが、

渡は幼馴染の公生に、大変友情を抱いている、
すごく性格の良いヤツ。
ただの容姿&性格ハンサムガイだと思うのです。

彼は公生が母を失って、かつての朗らかさが陰ったことを、
幼馴染として随分心配しているのだと思います。

だから公生の心に光の射し込んだ、
彼の心に良い変化を与えたかをりとの関係を、
自分の彼女への好意と秤にかけても
公生の気持ちを後押しした。

かをりなら、椿や自分に出来ないことを
出来るのではないか、と。

四月は93

だからこそ渡は、
様々な場面で公生の背中を押していたのだと。

渡は本当に好きな子のために、
泥水をすするヤツだったのだ。


紘子さんの贖罪。


これは、公生がピアノを弾くことを望む限り
しっかり指導することでしか果たされない、かな。


柏木さんの恋愛観。


蔵書108冊。
BL。

ラジオであやねると種田氏が騒いでいたのが、
まさか公式になるとは。
ラストのギャグ要素として投下されましたね。

ところで先日、Twitterで
フォロワーさんと君嘘のお話をする機会があったのですが、
そこで思い至ったネタがあります。

柏木さんは友人想いで、
公生に対して暴力を振るわない奇特な女子ですが、
でありながら、
腐女子の本領を隠し持っていて、
公生、椿、渡の幼馴染組を見ながら、

渡×公生

を想像して「デュフフフ」だったのではないかと。

加えて、
部活中の渡に椿のことで彼に相談していた時、
柏木さんの脳内では

渡×サッカー部男子

の花園がめくるめく広がっていたのではないか、と。
静かに平坦な顔をしてジュースを飲みながらも!

また、誰が見ても椿と公生の相談でありながら、
その裏では、柏木さんの脳内では

渡と公生の周囲に薔薇の花が咲き乱れていた

のかも。
故に、あんな表情をしていながら発せられた

「サンキュー」

には、

「いつもお世話になってます。
良いモノを見せてもらいました(ニヤリ)」

的なニュアンスが含まれていたのかもしれません。

でも椿のことも大事に思っているし、
柏木さんは案外、両刀使いなのでしょうか。
最近の中学生はこええッス。


あの人の病名。



早希さんやかをりの病名は何なのか?
という声をニコ生などでも多く見かけました。

個人的に、その知りたがる心理が理解できないです。

興味本位ならそんなもの知らない方が良いに
決まっているのに。
物語上ではっきりさせる必要があれば
する筈の事を描いていないのだし、
言及する必要もないのでは、と。

いちご同盟でも明言されていないのが
踏襲されているのもありますね。

まあ皆さんは、何気なく「何の病気?」と
自然に疑問を持っているだけですよね。


武士の心の内。


これも先日、君嘘DVD2巻の
(届いた!ひゃっほう!)
同梱キャラソンを聴いてみたのですが、
驚かせれました。

自分が本当に憧れるヒーロー像にあたる人間を超えるのって、
正しく「奇跡」を起こすという事なんだな、と。
武士の心情がそう読み解かれていて、
愕然とするほどに知りました。

君嘘やっぱ、ぱないッス。

しかも、そういう重みと大きさだからこそ、
公生の変わり様に武士は苦しんで、
だからこそ乗り越えたコンクールの曲は、
『革命』だったという。

いささか穿ち過ぎで、けれどシビレルな。
さすが血統を継ぐピアニスト。


まあ解釈としてはそれだけに留まらず、
憧れである公生が新境地に導いてくれる、
というニュアンスでの
奇跡を迎えるという意味の
キャラソンでもあるのでしょうけれど。



有馬公生被害者の会


公生の演奏に心を射抜かれた人達の集い。

5歳時に絵見、かをり。

武士も当然会員ナンバートップ3です。

最近では凪と三池くん。小春ちゃんも予備軍。

顧問は紘子さんで。

末席にとーしろさんも。


椿のこと。


幼馴染は勝てない。
これは良く二次界隈では聞こえることですが、
終わってみれば、君嘘は、

椿ちゃんの大勝利!!

四月は99

幼馴染が主人公の少年と結ばれるエンドで、
幼馴染の大勝利で幕を閉じました。

伏線、フラグ、前評判。

椿でこそ、それはばっきりと砕かれたのでした。
新川先生、にくい演出をなさる。惚れるわ(笑)


13.ポエマー公生。



公生は随所で情感あふれる詩的なモノローグを
ぶっこんできます。

その公生が、何故ああもポエムチックなのか?

それは想像するしか出来ませんが、
例えば、
未登場の父親が実はそういう嗜好の持ち主で、
公生はそれに影響を受けている、とか。

実は母親の早希さんがポエムを書く習慣があって、
彼女の死後に大量のポエムノートを見つけて、
感化されたとか。

そういうのが思い浮かびますね。
友人関係では誰もそういう匂いはしませんし、
読書の趣味にしては
劇中で本に触れているのは『いちご同盟』のみで、
あれはポエム成分は薄いですし。

あえて言うなら、
この作品は難病を抱えて、死を見せる人が出てきますから、
死と詩が掛けられているのかもしれませんね。

まあ、大概に情緒豊かな人物を描くのに詩的成分を持たせた、
というだけかもしれませんが。

あと、1話の冒頭が『月光』だったのは、

『月光浴は死想を育む』

から来ているのかもしれなくて、
そこでも辛い雰囲気が漂っていますね。


深読みしだすとキリがないですが、
それをさせるのが君嘘の奥深さですね。
楽しー!♪




14.『四月の嘘』



かをりは以前に、
「もっとも美しい嘘が生まれる」
と言って、
自身の嘘をほのめかしています。

彼女は最初に吐いた嘘を隠し、
それであっても、
公生への想いに裏付けされた行動を
とり続けています。

それはかをりの意外な狡猾さでもあります。
彼女は結構周到にモノを言って、立ち回っています。

視聴2週目では、
それをじっくり噛みしめて楽しんで欲しいです。

そして、最終回の告白を経た今なら解る気がします。
あれは、再び弾かせるために嘘を使う、
けれどそれは、
悪意や貶めるために出たものではなく、
“その人のための嘘”であるから美しくたり得る、
というニュアンスだったのではと。

命の残量が尽きるまでに、
好きな男の子との思い出を作るために、

好きな男の子に、再びピアノを弾いてもらうために。

光り輝いてもらうために。

その為にかをりが吐いた嘘。

それが『四月の嘘』。

それは美談でしょう。
彼女の命が顕わした、美しいモノに他ならない。


そして、君のいない春が来る。


四月は90


  ――――――――――――――



以上、
公生とかをり、
椿や渡たちの14歳の春を
14の考察
で彩ってみました( •̀∀•́ ) ✧

何かの足しになって
楽しんでいただけたら幸いです。

そして末文に、
この美しくも切ない物語が、
これからも愛されていくと良いな~
と、とーしろさんは心から思いますよ。

さて、DVDで再視聴して行きますか。
君嘘充は!まだまだ終わらないですっ!

ではでは、
取り敢えずの区切りとして、
これまでの『君嘘』の感想記事、
お付き合いくださり、皆さま本当に、
まことに、大変ありがとうございました<(_ _)>


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テーマ: 四月は君の嘘

ジャンル: アニメ・コミック

[edit]

「『四月は君の嘘』追走!詳細設定・伏線考察Coda2」 



君嘘の設定・伏線考察、第2回をお届けします~。

君嘘から学ぶ創作術が結構あるのも、
感想記事を書いていた理由です。

それは情緒的な部分だけでなくて、
こうしたら読み手がこう取る、とか、
ここのアクセントの為にこうするとか、
そういうテクニックが随所に垣間見えるんですよね、
君嘘は。

それと、
原作で結末を知ったうえで視た
ニコ生の一挙放送でも感じましたが、
11巻全44話にこれでもかってくらいふんだんに
ピースが散りばめられていて、
通して視ることでそれが連鎖的に嵌っていくんですよ。

ワンピースが長大なスパンでの伏線王なら、
君嘘は中編で異常な密度の伏線王です。



……などと、
という訳で、楽しく読み解いてみました。
七~色~シンフォニー♪ヽ(´∀`)9 ビシ!!


  


6.かつての飼い猫・チェルシー。



公生の幼少期に飼われていて、
ピアニストの手を気付着けたという理由で、
早希さんに捨てられたチェルシー。

この名前ですが、穿った見方をすると、

チェルシーはママの味

が思い浮かびます。

チェルシーの記憶は、母の厳しさと重なる。
また、チェルシーが捨てられたのは、
早希さんが厳しくなることを促したかもしれない。

ママの味が失われた、というメタファーにも感じます。

四月は97

ところで、
アニメ第1話のアバンで、
かをりがネコを追いかけているシーンに始まり、
3話のカフェ帰りの「にゃんこだ~」
とか、
公生にもすり寄ってきたり、
あげく車に轢かれて亡くなったネコ。

実はこれは、
かつて公生ママに捨てられたチェルシーが、
その後も野良として逞しく生き延びていて、

各所に出てくるネコは、
すべてチェルシーだったのではないか?
という疑惑が持ち上がります。
(いささかユメ膨らませた自分意見ですが)

これは、もしそうだとしたならば、
公生があれだけ後悔に苛まれて悲しんだことだったけれど、
案外近くでチェルシーは生き続けていて、
それは密かに、影で公生にとっての希望であったのではないか、
と捉えることもできます。

かをりと公生のひと時、
公生と椿の告白のシーン、
轢かれて公生に見届けられるチェルシー。

もしそうだったら、良い話ですね。

そして、最終回で踏切の向こうにいたネコは、
実はその生き延びていたチェルシーの作った
子供ネコだったりしたら、

公生とかをり、二人の絆と記憶の象徴として
公生の希望はまだ生きていくんだよ、
という温かなメタファーに感じて、救われますね。

7.なぜネコが随所で出て来たか。



作中によく出てくるネコですが、
これはネコ自体が終盤に至って非業の死を遂げることからも、
かをりという存在とのリンクが挙げられます。

他にも、公生がかをりを指して、
「君はネコのよう」
と、その気紛れさと距離の取り方を重ねていますね。

公生の身近な『何か』を体現する役割として、
ネコがその役目を担っているのですが、
それは『囁く影』もそうであったように、
公生のトラウマ……すなわち、
母・早希さんを想起させる存在としても使われていますね。

四月は23

このネコの扱われ方に対しての、心理的な分析としては、
母に反抗した記憶の中で、
反抗せずに従った出来事が公生にとって根深いモノだった、
という事でしょう。

反抗しなかった事は、
自分にとって悔いが残る出来事だったけれど、それでも
チェルシーが捨てられるときに食い下がらなかった事で、
母とピアノと公生の関係は(ある程度穏便に)変わらずに
続けていられた。

それは、母に楽譜を投げつけ、
反抗の言葉をぶつけた時に比べれば、
公生にとってはましな経験だった。

当時は雨の公園で泣いた辛い出来事だったけれど、
そういう意味では悔いがあっても肯定も出来る。
チェルシーとの思い出はそういうモノであり、

またそれは、だからこそ公生の内で
拭えないしこりとなって残る事になった。

これが

母≒トラウマ≒ネコ

の図式なのだと解釈します。

それでピアノにまた触れて、
母の存在を想起すると、ネコも一緒に顕れてくる、と。

あのネコは、
公生にとっての、様々な怖れと、捨てきれない想い、
畏怖と執着心との象徴としてのスガタだったとも言えますね。


8.公生のトラウマ。



公生のトラウマ(心の傷)は、
ピアノの音が聴こえなくなることで顕れています。
その症状を引き起こした原因となるトラウマは、
一体、何だったのか。

四月は3

早希さんの存在がトラウマになっていることは、
殊更に言うまでもなく、視ていて知れることですが、
公生にそれを抱かせることになったのは、
つまりは何故母のことが心に棘となって残っているの?
それは何故かだったのか?
という事について少し語ります。

そもそも、ピアノのレッスンで
母親から過剰な指導として暴力を受けていた公生ですが、
それについては、
当時の公生個人は納得する解釈を持っています。

母の為にピアノのコンクールで優勝して、元気づけるため。
その為に過度に厳しくされても、
椿や渡などの友達と遊べなくとも、我慢できた。

だから、公正にトラウマを抱かせたのは、
(少なからずの因子はあるにしても)
母親の暴力ではなかったと言えます。

では、公生は何に苦しんでいたか。

根源的に、母親が亡くなったショックなんじゃないの?
という意見もあると思います。
それも当然あると思います。
けれど、公生にとっては、
母親に以前から症状が表れていることや、
入院が長いことなどで、
場合によっては母親が亡くなる、という予感めいたモノも
幼いながらも少なからずあったと思うのですよ。
(Coda1で椿のばあちゃんが亡くなるのも経ていますし)

その公生が、母親を喪失したということで、
ショックが強すぎて、
それで心因的に音が聴こえなくるものなのか。

そうだと言い切ってしまえば、そうだという事になります。

幼い子にとっての、まして最愛の母親の死が、
それ程の質量を以って公生の心を苛んだ、
その結果としての音の喪失だと、
そう言い切ってしまうことは出来ます。

けれど、君嘘の劇中では、それ以上が描かれ、提示されているのです。

ですから、単純にそれだけではなかった、という事なのでしょう。

母との記憶すべてから複合した結果の心の傷、
ということで、それは
前述のチェルシーの件もありますが、
じゅーしーは中でも、、
母との記憶の終幕を飾った出来事が大きい、
と考えています。
それは、

「お前なんか死んじゃえばいいんだ」

母親との最後の会話がそれになったら、
そりゃ公生でなくとも、誰でも後悔します。

これが起点となって、チェルシーの件も含めて、
公生にとっての母親の存在は、その記憶は
『後悔』に染まったモノとなった訳で、
この後悔に苛まされることがなければ、

早希さんが亡くなったという、それでけだったならば、

もしかしたら、公生は
重度のトラウマとして音が聴こえなくなることが
無かったのではないか?
とそうも解釈できます。

つまりは、それが公生の“音が聴こえなくなる”
という症状を発現させた根深い原因であるという訳ですね。

最愛の母親への、ありったけの反抗が作った『悔い』。

ですから、公生のトラウマは、母の喪失自体よりも、
反抗の仕方と、早希さんが死んだタイミングの所為であると、
そう言えます。

もしも、公生と早希さんの間にもう少しだけでも、
時間ないし、言葉があれば、
公生は違っていたかもしれない。
音が聴こえなくなるという障害を抱えずに済んだかもしれない。

まあ、それはそれで君嘘のかをりとの物語も変わってしまうので、
なんとも辛い話ではありますね。

9.公生は『いちご同盟』を読んでいた。その意味。



辛い事といえば、劇中では早希さんが亡くなったことも、
幼い公生には辛いことでしたよね。

けれど、時間は
公生に母親の記憶の中の辛かったモノを和らげ、
母親の遺影に「ただいま」の挨拶を告げさせ、
仏壇に月命日の花を供えさせる。
そして、13話での母との決別に至り、
公生は早希さんの事で辛いだけになることから解脱します。

それでも、公生の身の上には……心には哀しみが襲い来て、
今度は恋した女の子、かをりが死の淵に。

20話の嗚咽から、21話の公生宅で紘子さんも目の当たりにした、
彼のゼツボウ。

このシーンはよくよく思うと、かなり危険なんですよね。
公生を一人にする時間が長いと、
彼は心が痛すぎて、重すぎて、
自ら命を絶つ、という選択に奔らないとも、
誰にも言えなかったのです。

それだけの酷薄さ。
少年の心を裂く辛さ。

けれど、公生はそんな悲惨で哀れな選択をすることもなく、
学校に登校して机の手紙に気付くわけですが、
ここでよくよく考えると、公生はどうやって辛さに耐えて、
学校に出てくるまでに自分を持っていったのか?
という疑問が湧きます。

これには、
紘子さんが実は少しは支えになる事を言った、
という線や、
かをりはまだ死んだと決まった訳ではない、
と公生が踏ん張ることが出来た、
とも考えられます。

けれど、ここで『いちご同盟』の存在が浮かびます。


『いちご同盟』の果たした役目



渡がかをりのお見舞いに、渡が持ってきた本。
その中の1冊が『いちご同盟』だったのですが、
この時、かをりは
この本の貸し出しカードに公生の名を見つけています。

そう、公生も『いちご同盟』を読んで、
この作品の内容を知っているのです。

『いちご同盟』の内容を少し紐解くと、
主人公の良一は、自分の先のことを
どこか悲観ないししていて、
ニュースになった自殺した少年のことを
気にして受験をしていました。

心のどこかで、
そうしたモノに惹かれている少年だったんですね。

けれど、ヒロインの死に触れて、
良一はその誘惑を振り切って、
「生きるよ」
と答えています。

この作品を読んで知っている公生は、
だから同様にピアニストで、
同様に気になる女の子が病気で死を間近にしていても、
公生は

それでも自殺は選択しない、

という思考を導けたのではないかと、
いささか穿っているように感じますが、
そう考えることも出来るのです。

君嘘は様々な点で『いちご同盟』を踏襲していますが、
その同作は、実は
公生に「生きるよ」と
踏みとどまらせる役割をも果たしたのではないかと、
そういう考えが浮かびました。


  ―――――――――――――――――

一旦ここらで区切ります。
また明日に続きを更新いたします。
多分次でまとまる……はず。

いやあ、かをりみたいに美しい嘘が吐きたいです。
ではでは~。


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テーマ: 四月は君の嘘

ジャンル: アニメ・コミック

[edit]

「『四月は君の嘘』追走!詳細設定・伏線考察Coda1」 


先日、無事に、と言うにはあまりにも、
哀しくて切なくて、
しかし穏やかな春風のような感慨を
公生と視聴者に与えて最終回を迎えたアニメ、
『四月は君の嘘』

四月は100-1

イシグロキョウヘイ監督や、視聴者の意見としてもあるように、
この作品は、一度結末と、『四月の嘘』について知ったうえで、
再度1話から視直すことで、
新たな、そして様々な発見に溢れていることが分かります。

かくいうとーしろさんも、
原作最終話を読んだうえで、
アニメ最終回直前のニコ生連夜の一挙放送を視聴していて、
大変多くのことに気付かされました。

今回の記事は、
最終回までの当ブログの記事にも見られたように、
この作品に隠された、

創作的な意味合いが強い、
設定』の理由、

張り巡らされた
伏線』がどのようなモノだったか、

などを、
じゅーしーが気付いた限りではありますが、
列挙し、書き記します。

そうすることで、君嘘を愛するあなたの、
本作への更なる理解の一助としたいとなれば、
そうなれば幸いです。

では、行っけぇ~!∠( 'ω')/







1.君だよ、黄身なんだよ!



1クール目の素晴らしいOPテーマ曲、
『光るなら』ですが、
印象的な歌詞が、
公生とかをりの『想い』を載せたようなフレーズ、

「君だよ、君なんだよ!」

これですが、
これはニコ生などのコメントを見ていると、
割と早い段階から

君=黄身

という読みがされています。

実はこれはあながちピントのずれたことを
言っていた訳ではなく、

公生がタマゴサンドを好き、

ということに掛けてあるんですね。
新川先生、タマゴサンドとモーモー牛乳押し。

2.なぜ、タマゴサンドなのか。



率直に言って、第19話のコンクール予選の待ち時間、
公生と絵見と、加えて武士が並んで
タマゴサンドを食べていたことが、
それを顕著に語っています。

タマゴサンドは『黄身』を加工して挟んだ食べ物です。

これは、公生=君

が、絵見や武士や、
またかをりも椿も渡も、他にも多くの人たちに
挟まれている……
囲まれて、支えられていることのメタファーであると考えられます。

タマゴサンドが、
21話の公生の『支えられている』とうことの
気付きの伏線にもなっていたと、
言って言えなくもないのです。

公生がタマゴサンドを好きな理由は、
創作的には、彼がそうなるべき人間であるから、
といった処なのかもしれませんね。

3.かをりがお見舞いにねだった『カヌレ』とは。



食べ物繋がりで、次はかをちゃんが食べたがった
カヌレですが、

これはWikiによると、
カヌレはフランスのボルドー女子修道院で
古くから作られていたお菓子だそうです。

蜜蝋を入れて、カヌレ型という小さな型で焼いて作る。

ちなみに『カヌレ』の言葉の意味は『溝のついた』だそうです。

これだけでも、病気が公生とかをりを別っているように
感じますが、
実はこのカヌレにはもう一つ特徴があって、

フランス・ボルドーではワインの澱を取り除くため、
鶏卵の卵白を使用していたそうです。
そのため大量の卵黄が余り、
カヌレはその利用法として考え出されたものだという。

ここでも、
君=黄身 押しなんですね。

カヌレが好き=君が好き、公生が好き、

というニュアンスなのかもしれませんね。
どんだけ黄身押しやねん、いう。

ちなみに、当ブログでのカヌレ食べてみました記事
⇒「カヌレ・ド・ボルドーを食べてみました♪」



4.君が好きです。過去から四月の出逢いから。



ここで、本作の大きな伏線にして、
物語の表題でもある、根幹といえる設定。

最終回でかをりからの手紙で明かされた、
公生が好きであるという、かをりの本音。

これについて触れたいと思います。
お誂え向きに、丁度4番ですし、
四月の嘘について触れるのも一興かと。

……まず、かをりが公生への気持ちを隠して、
渡を好きといっていながらも、
彼女は随所で、公生を想う行動を採っていますよね。

後からしてみると、「そうだったんだな」
と思うシーンは本当に多いです。

彼女の嘘の正体。
それがありありと顕れている行動を、
思いつく限りで、順列で挙げていきます。



追記:君嘘の『嘘』についての考察を書いています。
⇒「『四月は君の嘘』追走!詳細設定・伏線考察Coda5 ~バラードの共演より1年記~」




公園での『ハトと少年』のピアニカ演奏。
公生との出逢いの時。


「強く吹きすぎちゃった」
と涙の訳を口にしていますが、
真相は、思わず公生が約束の場所に現れたことへの、
歓喜の泪だったのでしょう。

演奏中に公生が視界に入って、
ピアニカを吹きながら、
内心で喜びがとめどもなく溢れてきた結果でしょう。

好きな男の子とのまともなファーストコンタクトに
嬉し涙です。

かをちゃんこそ、女の子だな。


藤和ホールでのヴァイオリン演奏を聴きに来るのに、
公生の手を引いて、かをりが促したこと。


一見、椿と渡の友人に親切に振る舞った、彼女の優しい面、
とも取れますが、
その真相は、公生に出逢えた気勢に乗じて、
『公生にまたピアノを弾いてもらおう作戦』を
急遽実行したのでしょう。

アグレッシブなアプローチは、走り出したかをりの力ですね。


自分の演奏の感想を、公生にも求めたこと。


このシーン、演奏後なのに手が震えているんですよね。
それは病気のせいもあるのかもしれないですが、
本来なら必死になるのは演奏に向かう時。
演奏を終えた後に緊張で手が震えるのは、
緊張の余韻としても、
あまり道理に合いません。

これは、公生がかをりの演奏を聴いて、
心動くモノがあったかどうかを、
彼女がとても気にしていたということで、
それだけ、憧れで、想いを寄せる公生の意見が、
かをりは気になったのでしょう。

「どぉんなもんだいっ!」

の笑顔が会心だったわけですね。(T_T)かをちゃん…


度々待ち伏せしていたこと。


これはあまり殊更に言わなくても、
視ている人に、
かをりは公生と一緒に行きたかったんじゃないの?
という感覚を大いに抱かせている場面たちですね。

実際はその通りだった訳ですね。

けんけんぱの子供に「人を待ってるって言ってた」
と言われてかをりが焦っているのは、
もしかしたらその相手について話していたのかも。

かをりは随所で用意周到さを見せますが、
本当のところは、一途な良い娘ですね。

四月は24


無理を言って、公生に伴奏を頼んだこと。


これは、「コーセーくんにまたピアノを弾いてもらう」
ためのステップですね。

かをりのこの願いは、
偏に公生を思えばこそ。

彼女の想いが、自分の弱さを隠さずに曝け出すことを
させたんですね。

「挫けそうになる私を、支えてください」
は、さすがに狡さがありますが、
それだけ命の残量的に必死だったのでしょう、かをちゃん。


終わったコンクールで再び弾き始めたこと。


この時にも後にも、公生は、

「あの時君は、何を思ってヴァイオリンを弾いたんだろう」

と述懐していますが、
これもまた、公生にピアノを弾かせるためのステップ。
かをり自身の自由さの表れでもあったのですが、
この時にかをりの心には、

『公生のために弾く』

という確固とした意志があったのも、また確かです。

自分の栄光よりも、想い人の為の行動。
かをりちゃん、尊い……。


毎報音楽コンクール予選。
アゲインから弾き切った公生を見たかをりの言葉。


「公生が帰ってきた」
「(かつての)君がいるよ、有馬公生くん」

絵見同様に5歳の頃に公生を知り、魅せられたかをり。

その影響を与えた公生が、ピアノから離れて行った。
その帰還の瞬間を感じての一言。

四月の初見時に友人Aとして紹介された公生だが、
それ以前から個人的によく知っていたことの示唆。

(カフェ帰りにネコを挟んでの会話でも表れていますが)

また、ここでかをりが感動する意味は、
自分が余生を使ってヴァイオリンを弾く意味が、
彼女のユメが叶ったことにもよるのでしょう。

『愛の悲しみ』の選曲。


ガラコンで公生に弾かせる曲に選んだ
『愛の悲しみ』。

これは公生がピアノを止めた原因、
母の死にも絡んでくる。

かをりの思惑は、公生のトラウマの克服でしょう。

公生がピアノを弾くことを確固たるものにするために、
必要なこととして、彼にこの曲と……
ひいては母親の影と向き合合う事を
かをりは勧めたのですね。

厳しいというか、公生の凪との連弾の
「尻を叩き」、は
かをりのこうしたところから、
影響を受けていたのかもしれませんね。


入院中にお見舞いを促したり、
電話で話したり。


まあ、こういうのは想い人へ向けては、
さして深い意味もなくしたくなることですよね。

これが2月のコンクール本選を控えた段階では、
公正の為を思って、
「もう病室に来なくていいから」、
とかをりの方から告げるのですが、

それでも彼女にも繋がっていたい気持ちはあって、
夜間飛行についてのささいな電話をかけてくる。

ああ……かをちゃん、いじらしい。


「私と心中しない?」


辛い状態にあったのはあるのですが、
それが他でもない公生に向けて言われた意味。

もしかしたら、彼の中の私は、それを了承するような
存在になれているかな?

という、哀しい希望が匂ってきます。
そんなシーンでしたが、
要は公生が好きだから、自分が死んで
離ればなれになりたくない、という想いが
彼女にこんなことを言わせたのかもしれません。

ちなみにニコ生のコメントで、
心中=心重

こころを重ねる、という解釈がされていましたね。
心寒いだけのニュアンスじゃなくなるような、
一層シビアになるような。

……いえ、「心中しない?」の言葉が、
公生とかをりの心を確かに重ね合せる、
その切っ掛けになったと、
そうポジティブに考える表現だということでしょう。
うん。

「もう一度、君とワルツを……なんて」


医師から告げられた病状によって、
自分の命に諦念を持ったかをり。

その彼女が、公生の言葉で「もう一度」
と思えたシーン。

これは、他ならぬ公生がかをりに求めてくれたからこその、
かをりの決意ですよね。

この時のかをりの喜びは、涙を見ても解りますが、

「枯れた心に水をくれるんだね」

ですね。あのセリフに集約されています。

『君』が求めて、願ってくれることが、
力になるよ、と。
ラヴパワー。


キセキのエアヴァイオリン。



ふさぎ込み、また下を向いている公生。
無理だと繰り返す彼に、
かをりは躰が自由にならないのを押して、
自分が希望となってみせる。

今そんなことをしたら、
尚更躰に障りかねないのに、

偏に公生のために。

愛の力ですね。o(TヘTo) くぅ


かをりちゃんの内に秘めた想い、
確かに心の中に……!


5.かをりの死は避けられなかったのか。



四月は88

これに関しては、原作者の新川先生の腹三寸、
ということも言う人はいるかもしれませんが、
作品にはかをりが居なくなる根拠は
しっかりとあります。

それに関しては、当ブログの君嘘最終回感想を
ご覧になってくださると、一助になるかもしれません。

「その意味の納得。届くといいな。『四月は君の嘘』最終回「春風」視聴感想」

……正直、長いですが。


ところで、「七色シンフォニー」の歌詞で、

いてもたってもいられなくなるよ
この一瞬を抱きしめよう
僕らはここにいる

ということろを少しひねると、

君と居る時間を永遠にしたい。
僕の内に、彼女も居る。

となって、
かをりの死後の公生の心情を表現しているようです。

かをちゃんの命には、やはり意味があった。
哀しいけれど、受け入れて、失って進むのです。



  ―――――――――――――――――――



思ったより長くなっておりますので、
続きは明日更新の次回記事で。

ところで、
公生はかをりとの藤和音楽コンクールでの共演で、
舞台にある“すごい光景”があることを知った
みたいに作中では描かれているように感じるけれど、

しかし公生は8歳でオーケストラと共演した経験がある筈。
そこでは万来の拍手を浴びなかったのか?
これは本作の矛盾点なのではと思うのですが、
どうでしょう。



  ――――――――――――――――――

※11月現在追記。
円盤最終9巻の特典マンガを読んだうえでの所見。

かをりは5歳時に公生の演奏に感動し、公生と共演したくて
ヴァイオリン転向をしたのが、特典のCoda5で公式描写されました。

自分の
「かをりヴァイオリン転向は公生が音を喪失した後」
という見解の理由は下記の「詳細設定・伏線考察Coda4」
をご覧になってみると良いかもしれません。

  ――――――――――――――――――

ではでは~。君だよ!君なんだよ~♪


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[edit]

「その意味の納得。届くといいな。『四月は君の嘘』最終回「春風」視聴感想」 



四月は85

※ネタバレ注意。

物語の大きなネタバレが書かれていますので、
君嘘最終話をご覧になっていない方は、ご注意ください。


君嘘最終回を迎えた結果、
自分が何よりもまず言うべき事は、
原作者・新川先生への謝罪であります。

以前、18話の感想記事での一文で、
新川先生のかをりの描き方から、

「新川先生って、弩Sのゲドーですね」

ということを、とーしろさんは言ってしまいました。

それは当時の偽りない素直な感覚であり、また
色々と学びだすことの多い君嘘における、
楽しんでいる作品における、
唯一の不満の発露でもありました。

かをちゃんを殺さないで!
という抑えようのない悲痛な叫びでもあり申した。

しかし、最終回を読んで、視て、
そしてそれまでの感想と考察の集積として、
とーしろさんも考え至りました。

この作品というモノに。

だからこそ今、
先の暴言について、
ここに深くお詫び申し上げたいと思います。

まず、それがどういうこころであるかを語る前に、
前提として、この感想記事に目を通している方は、
君嘘アニメ最終話を視聴済みであり、
この物語の大きな結末のひとつである、

宮園かをりの死

を周知の事として書いていきます。
よろしくお願い致します。

四月は87

……で、何故その新川先生に向けた、
あの時点での評価ともいうべき、
ともすれば作家への『悪印象』を、
とーしろさんは取り下げる気になったのかという話ですね。

それは、当ブログの君嘘感想を読み
お付き合いくださって来た方は御存知かもしれませんが、
とーしろさんは作中で、
かをりがどんどん病魔に浸食されていく進行を視ていて、
君嘘が……というか、かをりちゃんが悲劇的な結末になるのを、
大変嫌がって、ポジティブで明るい幕引きになることを
望んでいるということを書いてきたのです。

(それはとーしろさんに限らず、
かをちゃんに魅せられた視聴者には、
多く普遍的に、当たり前の気持であったと思います)

しかしです。

この感想記事

……というか、途中から感想というよりも、
君嘘登場人物の心情考察という、
とーしろさんの『理解と納得の為の記述』になっていますが……

を書いているうちに、アニメも終盤に差しかかるにつれて、
作品の『創作的な意味』や『物語上の必然性』に理解が及んできたのです。

つまり、簡潔に述べるならば、
とーしろさんは
かをりの死について、理解し、納得しています。

そうして、最終回を視聴し終えて、
この結末を受け入れることが出来ました。

それとともに、この『必然』を形作り、描き切った
新川先生の手腕と筆力に、大いなる尊意を抱きました。

ここまで君嘘をご覧になった方には
当然の事のように分かることと思いますが、
あれだけ鮮烈でカラフルな魅力的なヒロイン、
宮園かをりを、
殺してしまう、死なせてしまうことへの
読者、視聴者の反感と批判。
そしてどうしようもなく溢れる哀しみ。

それらを理解しながらも、
作品のために必要なことであったからと、
果断に『道を極める』『鬼の通る道』を歩むが如く、
描き切った、この新川先生の行為。

まさしく生みの苦しみに耐えた足跡。

そして、身を切る思いでの創作の証。

新川先生の勇気と度胸、
そして作家としての鋭利さに、
尊意を表さずにはいられない……!
 
だからこそ、
作中の人物に対する仕打ちに心痛めたとはいえ、
安易に『ゲドー』呼ばわりしたことを、謝りたいのです。

新川先生、ゴメンなさい。<(_ _)>


しかし、今書いたことは、何この人ひとりで納得してんの?
みたいだと思うので、その辺の
『かをりが逝ったこと』への考察、
創作的な必然性について、少し書きたいと思います。

しかし、これはとーしろさんの得た納得であり、
必ずしも今これを読んでいるあなたの
琴線に触れるかどうかは定かではありません。

しかし、君嘘を読み解き、
かをりの死を肯定的に捉える一助になれば幸いです。

四月は84

まず、そうなんだよな。
かをりの生き様がどこまでもカラフルであり、
公生にとっても、読者・視聴者にとっても鮮烈であればあるほど、
宮園かをりという存在が、彼女を見た人達に克明に刻まれて、
その死の後も忘れられないように心に残るんだよな。

公生の内にも、とーしろさんの内にも、
今この文章を読んでいる皆さんの内にも。

それでこそ公生にとっても、作品にとっても、
自分達にとっても意味があるのだと思います。
そのありありと生き続けるモノこそが、
宮園かをりというカラフルだった少女のありったけの生命の意味。

かをりが逝ったことは、哀しい。
正直、原作最終話の発売前1週間のそわそわしっぱなしっぷりは
ハンパなかったです(歳を弁えろ)

けれど、その命の遺したモノを何度でも噛みしめる為にも、
彼女の死以上に、彼女の生が紡ぎ顕わした言葉と想いを
公生同様に噛みしめ、強く自分の生を歩んでいくためにも、

かをりの死を受け入れ、別れを告げなければいけない。

納得して、前へ進まなければならない。

納得とは、この場合なにかと言えば、
『かをりのいのちの意味が何であったか』
を知ることかもしれません。

作品としても、それは十分に描かれていることで、
だからこそ、とーしろさんも読み解き、
理解と納得に至ることが出来ました。

彼女はただ病魔に犯され、哀しく死んで逝った
……訳ではない。だけではない。
彼女の生きた意味と、そのカラフルさが成したことを
噛みしめることが肝要です。

四月は83

『いちご同盟』
について、御存知でしょうか。

君嘘劇中でも出てきた小説で、
セリフを引用されたりと、
大きな意味を持ちますが、
実はそれだけの存在ではありません。

とーしろさんも読んで知ったのですが、
まだ読んでいない人は、
是非お手に取って読み切ってみてください。

この作品は、
実は君嘘の“雛型”になっていると言える作品なのです。
だからこそ、
君嘘で描かれている様々なモノを読み解く
足掛かりと手助けになります。

そこで、かをりの死について。

実は、『いちご同盟』でも、ヒロインの直美が最後、
同様に亡くなります。
(ネタバレ失礼!)

そして、消えていった命が“遺したモノ”を、
『忘れないで憶えている』
ことが、『いちご同盟』の主人公の良一に
大きな意味を与えます。

君嘘ではそれが、同様に公生にとっての
大きな意味を持つことなんです。
そして彼にとって必要なことでもあります。

四月は86

このヒロインが主人公に与える意味合いは、
仮定として、もし彼女たちが生き残っていたとしたら、
良一にとっての直美の意味と重み、
公生にとってのかをりという存在が成したことと、
公生の内にいるかをりというモノの意味と大きさが、
揺らぐ事になる事態を招きかねない。

それは厳しくも寂しいことを言っているように聞こえるかもしれません。
酷いことを述べているようにも取られるかもしれません。

しかし、かをりが愛すべきキャラであることも、
当然に尊重したいのですが、
とーしろさんもその気持ちがいっぱいですが、
前回の感想記事で書いたように、
この作品は、公生の物語です。

公生が、自分の周りにいる人達の支えに気付いて、応えて、
自分の力で立って、
ピアニストという生き方を獲得するまでの物語です。

必要なのは、肝心なのは、

これまでの物語の出来事を通して、
公生がいかに自分の力と意思でピアノを弾いていくかを、
自分の心で得ることであり、
かをりの死後も、彼女から得たモノ、彼女が遺したモノを
胸に抱き、ピアニストとしてやり続けて行くか、

であるのです。

だからこそ、かをりの死は、作品にとって必然だった。
公生のために。

もしかをりの病気が完治して、この後も元気にずっと生きている
ということがあったとしたら、
その後の公生とかをりの関係の変化いかんでは、
彼女が与えたモノが意味をなくしたり、
霞んでしまったり、
変わってしまったりするかもしれない場合も考えられる。

かをりが生き続ける事は、
確かに公生にとっても幸せなことになっていただろう。
けれど、彼女が生きていることで、公生の心は
もしかしたらまた違った風に変わっていったかもしれない、
ということです。

公生にとってのピアノと、ピアノへの向き合い方、
弾き方が違うモノになってしまい、
結果としてピアノを弾き続けることを止めてしまう、
という線も在り得るのだということ。

それはつまり、2年前に公生が母の死をきっかけに
ピアノから離れたことから、
かをりがヴァイオリンを始めて、

『公生にまたピアノを弾いて欲しい』

という願いから、かけ離れていくことに他ならない。

それでは、公生がかをりから受けた影響は
一過性の気紛れといえるモノに過ぎなかった、
ということになりかねず、
それでは尚更、二人の出逢いという物語の動きが
色褪せてしまいます。

(あの人との時間のお蔭で、
一時は音楽に昂ぶりや豊かな情感を感じたけれど、
僕は多くの人たちに見守られ支えられ、
ピアノを弾こうと思ったけれど、
……それも過ぎた事だ)

と、その後のかをりや様々な人との関わりで、
そんな風に公生がスレた成長を遂げないとは、
100%言い切れない(苦笑)

それでは、1話の四月の出逢いから、
公生がカラフルに触れて、変わって行き、
2月のコンクールの舞台で得るに至った
“気付き”、

公生が自分の意思で、自分の力で
「弾くんだ」
と思えたことが霧散し、
ピアノを続けていかないかもしれない。

それでは、この作品の意味が果たされないし、
君嘘を視てカラフルなかをりたちに魅せられたことも、
結実しないではないですか。

君嘘は、かをり亡き後も公生が、
自分の力で立って、自分の気持ちとして
ピアノを弾き続けて行くことこそが、本当です。

かつて最愛の人の死で断ったモノを、
今度は同じ経験で失くさずにいられる……
そういう成長を公生が果たす。

なんにしろ結局、ピアノから離れるという物語なら、
最初から早希さんが亡くなった時点で、
話は仕舞っているんですよ。

一度やめたモノを、また同じ経験でやめていく、
という寂しくただただ哀しい物語。
もし君嘘がそういう話だったら?

それでは本作を生み出す必要すらなかった。
そんな無駄に哀しいだけのモノを、
少年漫画でわざわざ連載で描くことはないのです。

多くの読者・視聴者は、
どこかでカタルシスを求める部分はあっても、
どん底に居続ける人間を視ていて何が満たされるのか、
というカンジですよね。

どん底からの救いのようなモノがあるスガタにこそ、
人は喜びを感じるのですし、
少年漫画は尚更そういうモノを描くことをして欲しいと、
そう思います。

だから、公生はピアノを弾き続けて行く、
という『成長』としての希望あるラストに帰結し、
その為には、どうしてもかをりの死が必要だったんです。

そう考えられてなりません。

また少し話を逸らすと、
成長はしても、切なさがあるよ、というのが
君嘘の魅力にもなるんですよね。

こうした理屈で、だからこそ、
君嘘はかをりが退場することが、
避けようのない必然であって、
それでこそ公生と君嘘の体現するモノの意義が
しっかりと完成する。

四月は89

君嘘を視て来た人には繰り返しになりますが、
“体現するモノ”とは、

かをりのセリフにあった、

「悲しくても ボロボロでも どん底にいても
弾かなきゃ駄目なの
そうやって私達は生きていく人種なの」

に集約されています。

公生がそれを獲得する物語です。
それに加えて、心の内に残る恋した女の子や、
誰かへの想いを込めて演奏する事、
自分の周囲の支えてくれる人たちへの気付きと、
その感謝から来る応えようとする意思。

それらを作品すべてを通して公生が経験し、
学びとった末に、
ピアノを弾いていこうと思える。

それが『四月は君の嘘』という作品なんだということです。
そう理解しました。

これはアニメ第1話のラストでは変更されていましたが、
原作第1話のラストの公生のモノローグに
象徴するように、既に秘められて描かれています。

「14歳の春、僕は、
自分の足で走り始める」



また、公生は21話で辛くてどん底の中にあっても、
それでも演奏をし、
そこで悟諾を得られたことで、
これからもピアノを弾き続けられる力を得た、
と解釈出来ますが、

ここに至るまでにかをりと居た時間があったからこそ、
音楽に血の滾りを感じたり、
誰かの為に弾くことの大切さを学んだり、
演奏が言葉を超えて伝わる、忘れられない光景を知り、
公生はピアノを弾くことを望んだ。

そのかをりは、同時に公生をどん底に叩きおとす
引き金にもなった訳で、

公生にとって、かをりという存在が
いかに大きな役割を果たしたかも、
公生がピアノという生き方を獲得する
重要な根拠なのです。

だから、かをりちゃんのいのちの意味は、
否応なく絶大な大きさを誇り、
だからこそ、
その命が使われ、成したことを慮れば、
彼女の死に憤ろしさと悲哀ばかりを感じてもいられない。

ですから、とーしろさんはかをりちゃんが逝ったことは
確かに、とてもとても哀しいけれど、
公生にとっても、作品にとっても必要な事だったと納得し、
その生の意味を噛み締め、胸に抱き、
この作品を肯定します。

かをりなくして公生の成長なし。
彼女の命は大きな役割を果たし、
皆のこころに忘れられることなく生き続ける。
だからこその、肯定。

四月は95

この一連の『かをりの死の肯定論』を、
理屈にかたよって、
視聴者の感情として理解していない、
共感できない、
というご意見もあると思います。

でも人の死というのは(それが二次元であっても)
時間が癒して解決してくれるとはいっても、
どこかで、自分の気持ちを整理することをしないと、
心の内にわだかまり続けるんですよ。

だから、頭と心で、自分が心を割く存在の死の――
その理由を解きほぐして、
喪失の必然性を納得する行為は必要です。

これにはこれだけの意味がある。
これはこういうことだったんだ、
と思う作業です。

大概、自分も感情的です。
ウェットうしろうです。

そうして前に進むことが、生には必要で、
けれどそれは、
「大切な人を忘れる」ことでは決してないのですよね。

とーしろさんだって、かをちゃんが亡くなるは哀しいし、
嫌なんだよぉぉぉおおおおおおっ~~~!!!
ウワ──(゚´Д`゚)──ン。゚(゚´д`゚)゚。ウェーン ・゚

それでも、納得できないと不満を漏らしていても、
どうにも荒んだままで何にもならないじゃないですか!

それよりも、かをりちゃんの生きた意味をよくよく受け入れて、
「僕のなかに、君がいるよ」
的な考え方をするほうが良かろうなのです←ちょっちキモい

だから、とーしろさんもかをちゃんを忘れないです。
その死を……命が尽きたことを納得して、
これからの歩みの一部として生きたいです。
公生がそうであるように。

とーしろさんもこの作品を最後まで読み、視聴して、
そうした気持ちに至ることが出来ました。

そうなれたのは、他でもないかをりのお蔭。
彼女のいのちが遺したモノのお蔭です。

あなたはいかがですか?




ところで、「オレンジ」の歌詞にもある、
“かをりが遺したモノ”とは?

四月は96

カラフルな世界もある。
誰かを想って
想いを載せて演奏をすることや、
ピアノを弾く意味もある。

母との決別や、
恋を知ること、
自らの気持ちとしてピアノを弾くことでもある。
それらは同時に、公生が自ら気付き得たことでもあるのですが。

愛を失う悲しみを乗り越える強さ。
そして、大切な人が居なくなっても、
心の内に在り続ける確かな愛でもあるでしょう。

単純にトラウマにはならない。

かをりの死は、公生にとって
心に棘が刺さるような
……けれどくっきりとした陰影を表わすような傷痕を残す……
確かにそれは、思い出すことで疼くような痛みを感じさせる、
そういう経験となったことでしょう。

けれど、心にあるのは、
痛みばかりではないのも、また確かで。

「七色シンフォニー」の2番にあるように、
公生はかをりがくれた喜びも、切なさも抱いて
自らの意思で自らの生を進んでいく。

かをりという存在は、
彼女の生は、
公生にそう思わせることが出来た。

また、
君嘘の雛型となったと言える『いちご同盟』。

その結末として、
自殺の観念を抱いていた主人公の良一が、

「生きろよ」という友人の言葉に
「ああ、生きるよ」

と答えたように。

これこそが、
宮園かをりの遺した最大のモノだと思います。

生きることは、どこか哀しみがつきまとう。

けれど、哀しくても、辛くても、
それでも生きていく。

主人公の心にそう思わせたことが、
『いちご同盟』と『四月は君の嘘』の
直美とかをりというヒロインの成した
最大の成果であるという訳です。

だからこそ、彼女たちの死が受け入れられる。

ただ哀しみに彩られただけのモノではなく、
それがどこまでも尊いと、
純粋に理解し、納得できるから。

とーしろさんも、
しっかりとかをりに

「さよなら」

を言えそうです。

哀しさと切なさはあるけれど。

これまで滔々と自分がかをりの死を納得できる理由を
書いてきたみたいですが、
では、公生はどうなのだろう?

公生もそんな風に解釈して、
かをりが逝ったことを受け入れたからこその
「さよなら」
だったのでしょうか、
と思われるかもしれませ。

あの「さよなら」の意味は、正直なところ
簡単には解釈できません。
現時点の自分には、
それらしいことはいえても、
心から納得のいく答えは出ていません。

演奏の集中領域にあって、
かをりのスガタを捉えて、
彼女が発光となって消えていく様を目にした公生が、
何を感じ得たのか。

どうにか
それは、ある種の鋭敏になった神経がそうさせた
予感や直感かもしれません。

そうしたモノが、かをりの身の危篤を公生に感じさせた、
の、かもしれません。

あまり理屈的な解釈には至っておりません。

けれど、コンクール以後にかをりの死を知って、
それから桜咲き乱れる春まで時間が経過して、
そのうえで彼女の手紙を読もうと公生が思えたのは、

きっと、自分が述べたような
死の肯定と、受け入れを、
公生が出来たからなんだと、
それは思えます。

だからこそ、
お礼を言いたくなっていたのですよね、公生は。

大人になる筈ですね。
紘子さんも、凪もうっとりで、小春ちゃんもうきうきです。

公生は、成長した。




四月は92

最後に、
君嘘の表題の意味についても少し。

四月に吐いた嘘は、
こうして
生命と意思の強さの獲得、
『精神的な生きる力』という
『もっとも美しいモノ』を生み出すことになった。

かをりの吐いた嘘は、
だからこそ『もっとも美しい嘘』だ。

(他にも自分の命の期限を使ったから、
想い人を立ち直らせるための嘘だったから、
など嘘をついたシーンの意義によって、
解釈は広がります。)

そして、ラストの手紙でかをりの吐いた嘘の
背景を知ることで、公生は

かをりの想いと、ユメと命の温かな重みを胸に刻み、
それにも応える意味でも
ピアノを弾いていこうと思えている筈なんですね。

この嘘がなければ、
四月からのカラフルも、
意味と答えとの獲得も、
公生にも、自分にも在り得なかったでしょう。

だからこそ、
踏み出し、走り出したかをりの、
その『勇気』と『情熱』、
自らの命を使い切ってまで果たした『信念』に
最大の尊意を以って、
感謝の言葉を述べたい。

四月は94

かをりちゃん、ありがとう。


では、また同時に、

どこまでも情感深く、味わい深く、奥深い、
自分にとっては忌憚なく、10年に1度もない、
そんな感動を与えてくださった、
素晴らしい物語を生み出してくださった
新川直司先生に大いなる感謝と、万感を以って
ここに書き記しておきます。

『四月は君の嘘』と出逢えて良かったです!

この作品を読み解くことで学びとったモノを、
しっかり活かして自分も歩んでいきます!

新川先生、
マンガからアニメに至るまで
制作に携わったあやねるやイシグロ監督達多くの皆さま、
本当に本当に、本当~~~ッに!ありがとうございました!

ありがと……ごぢぇ……ます(ぼろ泣き)

君嘘、大好き!!!!!!!!ヽ(*´∀`)八(´∀`*)ノイエーイ

四月は100-2






p.s もう1回記事を使い、君嘘の細かい設定や
伏線に関する考察を述べたいと思っております。
興味ありましたら、お楽しみにお待ちくださいまし~♪



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[edit]

「そうして、少年は知るのです。『四月は君の嘘』第21話「雪」視聴感想」 


2月18日。
東日本ピアノコンクール 本選を間近に控えた冬。

情熱と才能を備えたライバルたち、
武士と絵見が着実に自らの課題曲を仕上げている、
その時。

公生は昏く沈む、哀しみとゼツボウの中にいた。

課題曲の練習をすることも出来ず、
以前にそうであったように、有馬宅のピアノ部屋は物が積まれて、
公生の心がピアノから遠ざかっている様を表わしていた。

その当人である公生は、
立つ気力すら萎えて、力なく自分の可能性の拒絶を口にする。

彼が今、ピアノを弾く理由が、失われようとしているから。

四月に出逢ったヴァイオリニスト。

宮園かをり。

有馬公生という男の子が、
恋を知った女の子。

そのかをりが、死ぬかもしれない。

リフレインする過去。
最愛の母の死。

音楽が繋いだ、公生が望み愛する人間。

それがまた、自分の手から、心から失われ、奪われようとしている、
その酷薄で、辛辣極まる現実。

それが中学3年生の少年の心を苛み引き裂き、
心を折り、砕く。

いや、もう。
この時の公生の心の模様は、
彼の彩について、
深く語ることが出来ない自分がいます。

前提として未熟な自分の筆力もそうなのですが、けれど問題なのは、
人物の「辛い」「哀しい」というシンプル極まりない心情を語るうえで、
もっとも必要なのが、
その人物の身になって想像することだと、
とーしろさんなりに思っているわけですよ。

例えフィクション、創作、マンガのキャラクターの心情であろうとも。

いや、ぶっちゃけ、実在しない人物の心の内だからこそ、
理解し、共有するのには、
多大な歩み寄りが必要とされると言えると思うのです。

リアルの対人関係では、
時に自然にしていても相手から伝わってしまうこともある、
「辛さ」ですが、

文章で書き記して、それを読み手に伝えるためには、
作品の中の人物を観測した、その視点で語らなければならない訳で。

それにはリアルとフィクションの境はなく、
「気持ちを分かろう」という姿勢と思考。
もっというと、「共感」が求められるんですよ。

そう、共感。

それはすなわち、今の公生を語るには、

「かをりがいなくなってしまう哀しさと辛さ」

それを自分の身になって考え、感じるということなんですよ。

これは、これはですね。

まずは第1話で桜の舞い散る中での、
彩色極まるカラフルな出逢いを経て、
彼女の自由で、自分の生を謳歌している演奏に度肝を抜かれ、

作品世界の存在とはいえ、
宮園かをりという人物に、
公生同様に魅入られていた自分にとって、
筆舌に代えがたい苦痛なんですよ。

シンプルに、共感と理解がありすぎて、
心情を克明に記すことが、辛いのです。

それは自分のモノ書きとしての、弱さではありますが。

遠まわしにとーしろさん自分の身も辛いことで、
公生は本当に辛いんだよ、
と言おうとしている、小狡い表現ですが、

魅入られ、励まされ、
時間を共有し、感動を共有し、
掌を合わせ合い、弱さを見せ合い、
想いを寄せあい、約束を交わした。

そんな恋した異性が、死に直面しているのを、
「創作の中のことだろう」、と割り切って、
自分の切実で真正の感情と切り離して

書くために書く、という姿勢はまだ持てないです。

それはクールに人間の心と動きを表現しなければいけない……
特に小説を書こうとしている身としては、
未熟で半端も甚だしい、恥を知れと言う位のスガタなのですが。

けれどそんな自分に対して、
どうにか体裁を取り繕って言うならば、
公生が自分の想いを演奏に託して、
「さらけ出す演奏家」
と取られるように、

これが今の自分の精一杯のさらけ出して書く文章です。

難しいことをべらべらと書き連ねていますが、
つまりは、

公生、哀しいよな、うわあああぁぁぁああああああんっっっ!!
・゜・(゜`Д´゜)・゜・ 。 。゚ヾ(´A`)ノ゚。 ゚・゚ '゜(*/Д\*) '゜゚・。

の叫びに集約されます。

今迄、色々君嘘のキャラたちの心模様を追ってきましたが、
今回の公生の「哀しみと辛さ」が、
何よりも心に刺さったので、こんな感想模様になっております。

ご迷惑をおかけします。m(_”_)m スンマソーン

でも公生、
自分が音楽しかない人間だという認識になっているのだろうけれど、
別段にこの状況は、
音楽が最愛の人を奪って行っているのではないのですよね。

ただ、それが、ある人の生のスガタだという、
それだけで。

音楽は直接に因果していない。
ただ、生きるうえでは、さよならが付きまとう、
ということが、
公正は若くして身近すぎるというだけで。

「人は死ぬことも、生きることのうち」

という言葉を
「フォレスト・ガンプ」のママンが言っていましたし。

だから音楽は、こじつけであり、
何かを理由にして痛んでいるに過ぎないんですよ。

そして、音楽の所為にしているうちは、
辛さに耐えて今すべきことから目を背けることも、
正当化できる気がするから。

これは公生の弱さです。

しかし、かをりはかつて、言っていました、

「私達はどんなに辛くて、どん底にいても、弾かなきゃいけない」

此処こそが、公生の岐路。

彼にとって正しく分水嶺。

この場面において、
椿は自分でどうにかするのではなく、
戦犯扱いである筈の紘子さんを頼っています。

これは、かをりに関することを、
自分ではどうにも出来ないという、
彼女のコンプレックスかもしれません。

もしくは、公生を支えなければいけない場面で、
彼の心の隙につけ入ってしまうかもしれない自分を、
無意識に恐れたのかもしれません。

それでも、紘子さんにしてみても、
失恋ですらない、
重度の喪失の恐怖という、今の公生の心境を、

かつての母を失った時の公生を見ている紘子さんは、
彼女もどうしたら良いか解らなかったようです。

ここでは、紘子さんに何か踏み込んでもらって、
彼女の過去に対する清算というか、
乗り越えが描かれても良いように思えますが、

しかし、
これは真打ち登場のために、
バイプレイヤーの見せ場が意図的に削られたという
創作的配慮であると言えますね。

以前に一日だけ病院から出て、
公生と買い物に行った時に買った
レターセットが、伏線になっていたんですね。

四月は81

それが公生をかをりの下へと導きます。

(しかし、渡はあのショッキングのあとも病院に行っていたんですね。
ほんま、良いヤツやでぇ)

二人の時間。
公生はかをりについて、少しずつ理解を深めますね。

死が二人を別つかもしれない間近になっての、こういう展開が、
より一層二人のこれからの幸せを、
視聴者に願わせずにはいられない。

ヒロイックなシーンが受け取り手の心を掴む、この破壊力。
く……、辛いけれど勉強になります。

公生を再び舞台へと向かわせ、ピアノに向き合わせるのは
何なのか。

前回の感想記事で、
彼の凍えた手を温める存在は誰か?と書きましたが、

この役目は、やはりかをりこそが、真打ち。
再び公生にピアノを弾かせるのは、
いつだって、宮園かをりだ。

きっと、
彼女はいのちの使い道を、
その奔放に謳歌し、自由で懸命ないのちの熱量を、
公生のために使うことを、ずっと心に秘めていたと、

そう思わせる。

ここに来ても、病身を省みずに、
公生の希望となるべく懸命になる。

最後は、伴奏の時と同様に、
自分の不安と弱さをさらけ出して、
公生の心に訴えかける。

四月は80

これを卑怯ととる人もいるでしょうが、
相手の心を動かすのに、自分をさらけ出すそれは、
相手への真心あってのものですよ。

そりゃあ、人間、感情をさらけ出すのに、
打算と腹裏をまったく含まない人はいないという考えもありますが、
かをりにまったくそれが無いとも、思いませんが、

(よく待ち伏せをしていたり、「愛の悲しみ」の時といい、
何かとかをりは周到ですからね)

それでも、かをりが公生に対して
彼の心を動かして、ピアノと向き合わせることを
何処までも真摯に思っているのは、
これまで散々、繰り返しで公生をピアノを弾くことへと
導いてきたかをりを見ていれば、間違い様がなく。

それに

「なんでも知ってる椿ちゃんが、羨ましい」

と洩らしているように、
かをりの公生への思い入れが、ありありと表れているのが、
ここに来て結実しているんですよね。

もはや疑いようがないでしょう。
散々劇中で、「友達を好きな女の子」と
かをりが渡に想いを寄せているとされてきましたが、

かをりは公生が好きですね。

以前に渡がかをりに
「かをりちゃん、公生のこと好きだろ」
というシーンがありましたが、

(あれ?アニメではカットされていたような記憶もありますが。
コミックス6巻参照)

それも伏線か。

今回、怒涛の伏線回収話ですね。

「ひっちょ」
も含めて。

んで、コンクール本選当日がやって来ます。
にんにきにきにき、と。

公生という存在を踏まえて、
自分のピアノに対するスタンスを明確にすることを
既に完了している武士と絵見。

(武士は1話を使って描かれましたが、
絵見はガラコン後の毎報音楽コンクール本選の演奏シーンで、
「追いついてやる」という意思を固めているのがそれです。
コミックス7巻参照)

四月は77

美しい姿での圧巻の演奏は、
凪をして、自分のこれから先に立ちはだかる壁を予感させます。

いやあ、えみりん、まじステキ///

ともあれ、公生の出番なのですが。

公生がこの場にいるのは、
もはや、

「変なピアニストになりたい」
「自分らしく弾こうと思います」

と言ったこころに基づいてはいない気がします。

むしろ、かをりの必死に応えるために、
公生も必死に、自身に求めているような。

「弾かなくちゃ」

と繰り返すのは、
君の為、
彼女が示した、己がピアニストであるという意義の為、
また一緒に演奏しようという、約束の為。

かをりという存在が、
くずおれそうな自らを、
どうにか立ち向かわせる最後の砦に感じてなりません。

これでは、この日のかをりの手術の結果いかんでは、
公生は本当にピアノから離れてしまいそうです。

それでは、かをりと共に過ごして、
経験して、公生が心に受けた影響と変化、
かをりのお蔭で出来た、人間有馬公生の成長が、
果敢無いモノになってしまいます。

そこで、彼の凍えた心に射したのが、

「ひっちょ」

だったわけですから、
前回のゴリチヌス菌バイオハザードが活きてくる訳ですね。

公生は、かをりがいなくなったら、
また自分は独りになる、
という感覚を持っていたんだと思います。

お互いの存在が大きいと、その片割れを喪失した時には、
莫大な質量の空隙を感じるものです。

それは、世界に彼女がいないで、
自分はまったくの孤独だという感慨。

それが感傷であり、誤謬であると気付くことも無く、
「辛さ」は、人のこころをそういうどん底に叩きこむ。

公生はそういう心の汀にいたんですよ。

けれど、椿が居る。

今日、自分の演奏を観に来てくれている。
おそらく、傷心の公生に声を掛けなかった辺りから、
また、告白の気まずさから、
椿は応援に来てはくれないだろう、
と公生はなんとなく思っていたのではないでしょうか。

このことが、公生に自分とかをりという大きな存在……
それ以外にも、
多くの人間が自分の周りにはいることを、杳々と悟らせる。

椿も、渡も、柏木さんも、
紘子さんも、小春ちゃんも、凪も、凪の友達も、三池くんも、
高柳先生も、熟女先生も、嫌味な審査員の偉いさんも、
武士も、絵見も、

みんな、公生を見ている。

公生の生きた時間が奏で出す、そのピアノを感じるために。

彼の頭上には、スポットライト。
これが、夜空に瞬く幾千の星の光を連想させ、
星々も含めて、皆が、公生を祝福するように、
彼と彼のピアノを見届けようとしている。

これまで公生は、椿や渡、かをりと夜空を見上げて来たけれど、
ここで知る訳ですよ、
自分はずっと見守られていたという事を。

それは様々な意味ではありますが、
しかし、それが公生にとって、
すべからく意味と影響を含んでいて、
自分の周囲の人々の意思と視線と、言葉の数々があったから、
だからこそ、自分の生は様々な彩を持っていて、
哀しみと辛さを孕みながら、
時にモノトーンであろうとも、
とても豊かで。

それが公生の生と、ピアノを形作っていたのだと知るわけです。

その彩は、見る者聴く者たちにとって、
とても心震わせる、
カラフルで、カラフルで、どうしようもなくカラフルな。

公生は、そのことを悟諾するとともに、
それに応えるべくピアノを弾くことに踏み出す。

四月は82

「君の為」

自らを奮い立たせる、恋した女の子を理由にすることから、
離れたこころで。

「弾くんだ」

自ら望んで、自らの意志で。自らのこころで。

ここに来て、ここまで書いて、とーしろさんもようやく解りました。


君嘘は、公生が自立する姿を描く物語だったんですね。


単なる、青春を彩る、恋模様というだけではなく。

人形だった少年が
確かな己の心で、
自ら立って歩き行く。
その力を得るまでの。

それまでのスガタと、彼を形作った人々を綴ったお話。

カラフルに彩られたひと時は、
かをりとの出逢いは切っ掛けに過ぎない。
かをりは公生をピアノに向き合わせる、一時的な強制力に過ぎない。

この物語は、公生自身が
自らのこころの在り方の獲得として、
ピアノを弾いていく意味と理由をその手と心で掴むこととこそが、
本当に描くべき、
物語の終結としての本題だったんだと、杳々と気付きました。

じゃあ、かをりという存在はどうなるのか?

それは次回、アニメ『四月は君の嘘』最終回で見届けて欲しいです。
これまで君嘘を愛して来た人たちに、
かをり達にカラフルにされたあなたに、
是非に、見届けて欲しいです。

とーしろさんも、どんな感情になろうと、見届けますから。

では、これまでで最長の感想記事になりましたが、
末文まで読んで下さった方々に感謝を。

次回、アニメ最終回の感想記事でお逢いしましょう。

春風が、近づいている。



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テーマ: 四月は君の嘘

ジャンル: アニメ・コミック

[edit]

「刀顕バトル小説『フェイス・ザ・エッジ  ~業遣師がゆく~』各所配信情報」 


最近巷では、刀女子なるモノがわきわきと蠢き、
全国の美術館に展示されている国宝や、重要文化財の刀、太刀を
観覧にくるという現象が起こっているそうです。

これは、通称『とうらぶ』というブラウザゲームが発信源。
刀が擬人化して、プレーヤーに仕えてくれるという内容ですが、
その擬人化刀が、腐の女性方に大変好評な

『美形・美男子』

であることが、ヒットの要因のようです。

好みの男のスガタをした刀に見惚れて、
実際の日本刀を観覧にいらっしゃっているという。

それについては、
まあよくある現象ですね。
然程珍しくもない。
(業界の高齢層には何事だ!?という感じでしょうが)


前置きとしてこういう事を書いていますが、
今回の記事は、決してとうらぶについて書きたいのではありません。

とーしろさんの執筆した長編小説

フェイス・ザ・エッジ  ~業遣師がゆく~

のご紹介がメインです。

しかし、なら何故いきなりゲームの話かというと、
この小説を語る際に、
どうしても、とうらぶについて触れないと、
こちらがあらぬ誤解を受けそうだという懸念があったからです。

それは何かと申しますと、
自作の内容にある数々の要素が、
とうらぶの中の設定やシステムと、
多々かぶっているところがある、ということです。

こういうと、

「お前が影響を受けて真似たんじゃないの?」

とか、

「パクリかよ。パクんなよ」

などという言葉が浴びせられそうなのですが、
それこそが、あらぬ誤解であり、
わざわざ明言して是正したところなのです。

というのも、
自作『業遣師』を書いたのは、去年の夏。

そして、とうらぶがサービスを開始したのは
今年の1月。


そしてこの作品は8月〆切の
某新人賞に投稿しています。

さておき、
自分がアイディアを考えた方が先である、
ということを、兎にも角にもはっきりさせておきたいのですよ。

とうらぶうんぬんではなく、
何かを真似している、という言葉を、
真摯にオリジナル作品を書くことに向き合って、
そのうえで書き上げたモノに言われるのは我慢なりませんから。

というか、
かぶる要素がちらほら見受けられても、
全然別モノの内容です。

テーマも見るべきところも、面白味もまた違います。

だから、尚更読んでみて欲しくあります。

当ブログでも以前語っていますが、
自分の書いたモノを、タダで切り売りするのは
とーしろさんの主義に反します。

それを去年末と2月中に渡り、
「Pixiv」と「小説家になろう」サイトで
公開しています。


……この公開は当然、とうらぶがあまりにも近似する要素が多い故の、
誤解を回避する為ではありますが、

この機に乗じて、とうらぶ繋がりで興味を持っていただこうという
魂胆もあったりします。

いやはや、とーしろさんも色々必死ですね(○´ω`○)ゞエヘヘ

長くなりましたが、
興味を持っていただけた方に粗筋とリンクをご紹介します。

  ―――――――――――――――――


フェイス・ザ・エッジ ~業遣師がゆく~

 日本刀に宿る邪念などが具現化して人に害を為す怪異、『妖威刀』
を祓う退魔の太刀『鏡命刀』 
――その遣い手、『業遣師』 の少女、棟角宗近。
北陸の大誠寺町を舞台に、祖父たちの名誉を取り戻すために、
宗近は業遣師として日々危険な仕事に挑む。

しかし宗近は真正の“日本刀愛”あふれる少女である所為で、
敵である妖威に情けをかけ、討ち損じるという失態を繰り返していた。

願いが有りながら、想いが行動を専心させない、未熟と葛藤の時代にある宗近。
ある時、祓いの場に現れた少年との出逢いを機に、
彼女のこころに変化が生まれていく。

これは目的のために闘いに身を投じ続け、
願う想いから信念を獲得する少女の物語。




「Pixiv」「小説家になろう」ともに
全文無料で読めますよ。
(ちなみに「なろう」の方は少し加筆してあります)

「Pixiv」
http://www.pixiv.net/novel/show.php?id=4472151


「小説家になろう」
http://ncode.syosetu.com/n5514cm/

一応、1シリーズとして完結した作りになっている作品です。
文庫本1冊を読む気持ちでどうぞ~ヽ( ´∀`)ノうふふ♪

  ――――――――――――――――――

楽しんで頂けたら幸いです。

どうぞ宜しくお願い致します<(_ _)>


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テーマ: オリジナル小説

ジャンル: 小説・文学

[edit]

「恋心を自覚した矢先に…ええぇ!!?な展開。『四月は君の嘘』第20話感想」 


今回は何が気になるって、
ショッキングなことがAB両パートに渡り、
ヒロイン二人で表現されていたことに尽きるのではないでしょうか。

それを匂わせないかのような、
冒頭ロリ&ショタの公生と椿の愛らしい様子。

四月は74

椿が公生に惚れた瞬間だったりしたら面白いのですが(微笑み)

公生は公生で、母親存命の頃に自分が揶揄されていたことに対して、
完全に割り切っていた訳ではなく。

それは年齢を考えれば、当然と言えば当然のことで。

椿はそんな公生を持ち前の母性で慰め、
励ましているシーンが描かれていますが、
公生と椿の絆が形成されて行っている、
二人のお互いへの想いが、心の底に積もっていっている情景が描かれていて、
(臭くてスミマセン)
よりこの二人が愛おしくなるんですよね。

これが愛されるキャラの作り方なんですね。
うーん、勉強になります、ほんと、君嘘は。

二人が雨宿りをしている最中に交わしていた
何気ない会話ですが、
これが結構面白いですね。
なんていうか、子供っぽい願望丸出しで。

まだ二人も幼いところがあるんだんなあ。

と、そう思わせるのが前振りという奴ですね。

この後の二人の間で交わされるのは、
青春の葛藤と決意なのですから、
そういう子供っぽさがこれまでよ、
という、二人が汀に立たされていることの象徴のようで。

また今回、紘子さんも公生は岐路に立っている、
と口にしますし。
案外これも、周到に考えれた情景描写なのかもしれませんね。

新川先生、ぱないの!

四月は75

公生もようやく、自分の内の気持ちを自覚しましたね。
その駄目押しをしたのが、他ならぬ椿というのが
なんともいえず、世の皮肉を感じてなりません。

……まあ、椿が素直じゃないのが原因ですが。

公生の肯定を耳にした時の椿の表情がね、
とても痛々しくて、
けれど椿への新密度があがりますね、視聴者の。

その意趣返しに、自分の気持ちを変化球でぶつける椿がね、
もう不器用な青春していて、可愛さ倍増です。

とーしろさんは、ひねていたり、冷めていたりで
自分の気持ちに嘘をついて、誤魔化すお子様は好きくないです。

踏み込めずにぐるぐるして、葛藤があって成長する。
そういう青春にこころときめきますね。

まさしく君嘘、弩ストライク。
ハードブロウ。
クリティカルヒッチュウウウゥゥゥゥッ!!

ところで、今回の和みの一枚。

四月は76

凪と小春ちゃんかわえええっ

公生の足に絡みつくネコもかわええっ

というシーンで、公生の詩的なモノローグが炸裂していますね。
今回はポエムズスメルがぷんぷんですね。

ちょっとしんみりしてしまいます。

けれど、公生がかをりに
「君に逢いたいんだ」
と告げた時のかをりの内心を想像してみると、
結構楽しいです。

彼女の真意からすれば、心の中でガッツポーズモノでしょうしね。
(最終回参照)

ところが、かをりちゃんのお見舞いに行った公生と渡は、
しんみりするどころではない、きついシーンに遭遇するんですね。

四月は78

正しくハードブロウ。

しかもその帰り道でのネコの出来事。
フラグがガン積みされていますね。

君嘘の不吉なフラグだけは、
未だに自分のモノとして勉強できないとーしろさんです(泣

公生の手が、血で染まっている。

かをりに手を引かれ、
掌合わせをして、
彼女に導かれてピアノを弾いた手が。

かをりとの思い出が残る手が。

ああ、辛いなあ。

哀しみとゼツボウの描写として、
こんなエグイ描き方をする新川先生は、
弩Sのゲドー確定ですねw

公生の嗚咽が真に迫ってきて、
く、苦しいです……っ

でも敢えて言わせてもらおう、公生。

冬場の野外の水道水なんかで手を洗ったら、
尚更神経がささくれ立って、辛いことが一層沁みるから!

誰か止めてあげて!

ともあれ、
これ、次回とかのコンクール本選は大丈夫なのでしょうか、
という。

せめて誰かの掌が、
公生の凍えた手を温めてくれることを願いましょう。

ウワァァ-----。゚(゚´Д`゚)゚。-----ン!!!!

といわけで、以下次回。

また君嘘の感想でお逢いしましょう。

あと2回!!


追記。

原作6巻、アニメ12話「トゥインクル・リトルスター」で
プールにおちた公生が、水底で音を感じるシーン。

これをラジオであやねるたちが「公生が音を取り戻すシーン」
といっていたのが
「音を取り戻す」の割にはその後も聴こえていないわけだし、
個人的にずっとしっくりこず、けれど明確な解釈が出来ないでいた。

しかし単行本を読み直してみて気付いたが、
あのシーンは公生が、自分の内の音という、
音が聴こえなくとも思いのままに弾く指針となる音を
「認識し、確認し、獲得した」というのが
解釈としてしっくりくるのだろう、と感じました。





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テーマ: 四月は君の嘘

ジャンル: アニメ・コミック

[edit]

「『四月は君の嘘』DVD第1巻 特典付き限定生産版 届いていたよ♪」 


このブログをご覧いただいている方々は周知のことと
思いますが、とーしろさんはもう、
君嘘にかなり肩入れしておりますから、
円盤(アニメDVD&Blu-rayDisc)を
当然のように購入してまいましたよ!
いえーぃ!!!

CIMG2069.jpg

といつつ、発売日は去る先月25日で、
配達も26日頃にはされるという状況にありながら、
しかし中々ブログにその喜びを書き記すことが出来ないでいました。

しかし別に遊んでいた訳ではなく、
この10日間の間に、DVD第1巻に収録されている
第1話や、コメンタリー、
付属のキャラソンCD等をじっくり堪能していたのです!

それ遊んどるやないかい!

……などといいつつ。

その楽しんでいた内容のご紹介です。
そう、楽しんでいたからこそ、
この記事も書けるというものです!(力説)

パッケージにはアニメ第1話が収録されたディスクと、
劇中でもかをりと椿のシーンでながれたキャラクターソングが、
アニメの歌い手とは違う、アニメキャスト版での歌で
収録されております。

しかも、かをりと椿だけではなく、
劇中ではまだ聴けていない公生の歌
(12月のコンクール本選で使われそうな予感)
も収録されています。

続巻では絵見や武士のキャラソンも収録されるそうですね。
きっと凪もあるんでしょう。
でも紘子さんや柏木さんはないのかな……。

このキャラソン、
それぞれのキャラの名シーンのクラシック曲を
アレンジした楽曲になっていて、
(公正は「愛の悲しみ」かをりは「サン・サーンス」
椿は「月の光」という感じ)
どれも雰囲気がとてもあって良い曲たちです。

公生の歌声も悪くないし、
椿がゆったりした歌うのもまたステキなのもあるしで。

けれど特筆すべきは、
かをりの曲の詞で、
これはラストまで視たあとで聴くと、
意味がよく咀嚼できるのではないかと、
そう考えさせられる内容になっておりますね。

キャラソンって、聴く習慣が無かったのですが、
それぞれのキャラのテーマ性をよく表わしてあって、
これはこれで良いですね。

声優ソングの認識が、カラフルになったかな~、なんて。


パッケージには他に、限定生産版独自の特典物。

描き下ろしのオリジナルコミックスの第1弾、

『四月は君の嘘 Coda1 夏の夕暮れ』

が付いています。

内容を少しご紹介すると、
まだ母親も元気で、紘子さんも頻繁に家を訪れていた、
公生が幼い頃。

ピアノを始めてしばらくが経った公生は、
紘子さんにピアノの発表会に出てみないかと言われます。

しかし、椿や渡と遊びたい盛りの少しやんちゃだった当時の公生は、
練習が多いことにへそを曲げたりして、
紘子さんは欲しいモノを買ってあげる、となだめすかして
夏の発表会に挑みます。

その過程で椿や公生に、心の変化があり、
公生はある気持ちを胸に、舞台に挑む。

公生の初演の様子は次回、Coda2にて。

これには当然、幼い絵見も登場し、
そして彼女の隣にはきっと、例の子がいるのでしょう。

原作の最終話まで既に読んだ方には分かると思うのですが、
公生の初演の場に居合わせる人間が描かれる本作は、
外伝やサブストーリーで済ませられない、
本編にも大きな意味を持つエピソードに仕上がると見ています。

さてさて、続きが楽しみですね。
全5話で、凪と三池くんのエピソードも描かれるそうで、
楽しみですね(o′∀`o)ニヒャッ♪

いや、円盤の予約は発売日2日前に急遽
アニプレックスさんにしたくらいなので、
買うつもりではいたのですが、いまいち情報に疎くて。

何故アニプレックスにしたのかというと、
1巻~5巻だったかの連続購入特典に、
君嘘仕様のヘッドホンが貰えるそうだからです。

アニプレックス公式ページのディスク情報ページで確認できると思いますから、
興味ある方はどうぞ。
https://www.aniplexplus.com/itemUYGMdiWy

ところで、特典といえばこちら⇓

CIMG2070.jpg

アニプレックスでの第1巻の購入特典です。

総作画監督の愛敬さんのイラストによる色紙と、
アニメ1クールOPのイラストポストカードセット。

部屋のフォトスタンドに納めるべきは、
かをりか絵見かでむちゃくちゃ悩んでいたのですが、
今は取り敢えずかをりにして
にまにましているおっさンがそこには居た。


しかし、アニメ1話のコメンタリーなんですが、
何故かメインでドヤ坂さんこと逢坂さんだけが
いなかったりします。

なぜでしょうか。
この謎は続刊で語られるのか?

なんて感じで、DVD2巻も楽しみ待っております。
あ、そうそう、
リアルタイムはPCのノイタミナ公式で視聴していたとーしろさんですが、
DVDを購入して自分の21型テレビで視てみたところ、
音が段違いに良かったです。

このシーンのBGMはこんなだったのか!?
と、新鮮な気分で視聴出来ましたよ。

これは2巻でのかをりのヴァイオリン演奏や、
公生、絵見、武士のピアノソロも期待が高ますよ!

あと、2クールOPテーマ曲の
コアラモードさん
「七色シンフォニー」
も並行して手に入れたりして、

CIMG2073.jpg

あー、君嘘充でございます♪♪♪

たまには社会人の特権を奮うのも悪くない。

うむ。良い買い物を致しました。
新川先生の次回作の糧にもなれば幸いです。

p.s 今「いちご同盟」を読み進んでおります。
君嘘とダブル要素を見つけるたびに「うおおっ」となりますよ、
この作品。
皆さんも、アニメDVDとともに、「いちご同盟」も手に取ってみると、
更に本作を楽しめると思いますよ~ヽ(´∀`)9 ビシ!!







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ジャンル: アニメ・コミック

[edit]

「『ひまわりさん』月刊アライブ連載のおススメ作のご紹介」 


CIMG1940.jpg

この作品『ひまわりさん』は、
まだ本作が1巻を発売した頃に、
とーしろさんが本屋でその表紙に一目惚れしたのが
出逢った切っ掛けでしたよ。
いわゆる『ジャケ買い』ですね。

先月、最新刊の第5集を購入して、
とーしろさんも大変楽しませて頂きました♪


『ひまわりさん』について大まかに説明しますと、

菅野マナミ先生作

メディアファクトリー月刊コミックアライブ連載

2015年3月現在、単行本は第5集まで発売中

3月13日に2度目のメディアミックスとなる
ドラマCDが発売
(1度目はBSのヴォイスドラマ番組)


内容をご紹介します。

女子高生、風祭まつりちゃん(1巻時高校1年生)の
学校の真ん前にある本屋さん「ひまわり書房」。

その本屋の女店主の「ひまわりさん」(通称)と、
まつりちゃんの本を巡る日常が描かれます。

ストーリーの進行は、
まつりちゃんの学校のクラスメイトの女子友達や、
ひまわり書房を訪れるお客さんたち、
ひまわりさんのお兄さんや、先輩などなど、

様々の人を通して、ひまわりさんが思う
「本が好き」という想いや、
本を通して語られるエピソード、
まつりちゃんの引き起こすトラブルや、
彼女の成長なども含めて、
ひまわり書房と本を通して出逢った人達との交流も描かれます。



が、

なによりこの作品でメインなのは、
まつりちゃんが

ひまわりさんラヴ

な女の子であり、
彼女は毎日学校が終わるとひまわり書房を訪れ、
ひまわりさんに愛を叫んでいることです!

ゆる百合とでも申しますか、
ひまわりさんはドライでクールながら、
まつりちゃんのいつものそんな様子に
次第に態度が変わってきて、
ひまわりさんの中でのまつりちゃんの存在感が変わっていきます。

最新の第5集に至るまでに、
まつりちゃんも高校3年生になり、
ひまわりさんとの距離の変化も描かれております。

しかし、この作品はどぎつくディープな女子少数性を
描いているのではないので、
ゆる~く二人の和む姿が見られますよ。

百合っぽいのがNGではない方は、
ひまわりさんとまつりちゃんの触れ合いをみて
是非、萌えてみてください。

とーしろさんはまあ、言うに及ばず、
黒髪ロングでメガネでクールなお姉さん属性の
ひまわりさん
押しですがね(ドヤァ

しかし、まつりちゃんや友達の南ちゃんとか、
お兄さんの師匠の性格の悪いお姉さんとか、
愛すべきキャラが沢山いるのも、本作を愛読している理由です。

あと、本好きな人らしい意見が随所に出てくるのが、
いちいち共感できることが、
ひまわりさんというキャラを好きになる理由の一つですね。

百合っぽいのは、まあオマケみたいなものです。
あまりその要素を気にせずに、
是非、お手に取ってみてくださいまし。

おススメですよ~ヽ(*´∀`)八(´∀`*)ノイエーイ

ところで、こちら⇓

illust 6-2 - color

1巻を購入して間もない頃に描いた
とーしろさんのファンアートなのですが、
なんと5巻の表紙絵に近似しております。

菅野先生もPixivユーザーなのですが、

以前にから自分がPixivに『ひまわりさん』の絵をアップしており、
コメントで
「まつりちゃんが愛を叫んでいる」
と書いていたのも良い影響があったようで、

また今回、このような……
もうなんと表現していいのか、
恐れ多い、しかし嬉しい……、
至福の意味で困惑している自分がいます。

菅野先生!好きだぁぁぁああああっ!!
(まつりちゃんのように愛を叫ぶ←失礼

……ともあれ、『ひまわりさん』。
これからの注目は、
3年生の間にまつりちゃんに起こることもそうなのですが、
果たして成績の振るわないまつりちゃんは、
進学するのかどうか、ということですね~。

1巻の第1話も高校受験に関する『進路』に関する内容でもあったので、
高校卒業とその進路に関する描写は、
本作的に大きな意味と節目になりそうで、
目が離せないところです。
(5巻でもすでに、それに関する話題は出始めていることですし)

これからも楽しみにしております、菅野先生!



さて、ドラマCDの予約をしないと!ソワァ




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「決意と前進。自分の為に。届けたい人のために。『四月は君の嘘』第19話感想」 


前回の公生との会話で、自らの生への見切りから
かをりはもう一度前を向くことを選択したようですね。

自分の病状に対する抜本的な解決にならないと知っても、
それでも自分の時間にいくばくかの可能性を見出せるなら、
その光を求めて行きたい。
そういう決意をした。
だから手術を受けることをかをりは選択した。

四月に出逢った男の子。
彼ともう一度演奏する為に。

かをりの病状が気になる公生がお見舞いに行くと、
彼女はリハビリも始めたようで、
かをりのモノトーンになって行っていた心が、
少しずつまた前進して、色彩を帯びてきているようで、
見ていて嬉しくなります。

また椿は公生が根を詰めてコンクールの練習をしていることが
心配で、柏木さんに相談したりしていますね。
彼女によって公生にとっての今回のコンクールの意味を教えられ、
嫉妬せずに応援してやれ、と励まされる椿。

ついでに夜中に差し入れを持って訪ねるアドバイスまでして、
柏木さんてば手練れですね。
その恋愛観はどこから来ているのか……。

公生と椿の二人の時間。
公生への恋心を自覚した現在の椿は、
受験の結果によっては、もしかしたら
公生と一緒に居られなくなるかもしれない、という現実を前にして、
だからこそでしょうか。二人のひと時を慈しむように噛みしめていて。

恋する乙女ですね、椿は。
自分でも「乙女に向かって」とか言っていたのが
地味に現実味を帯びてきているのが、伏線というか、
創作的な必然というか。
これも作り方の妙ですね。うむうむ。

そしてコンクール予選当日。

キタ!えみりんのお出ましです!

なにやら公生に対して殺意の波動を漲らせておりますね、えみりん。

四月は71
四月は72


眼力威圧ぱないっす!
それに対して公生はがくぶるで、
自分用の特製タマゴサンドを献上するのが笑えますね。

四月は70
えみりんのお顔が輝いている~!!♪♪

しかしこのシーン。
先のガラコンで、絵見が変装してまで公生の様子を見に来ていた事で、
彼女が実はツンデレぶりを秘めていることが公式でも描かれていたのですが、
だからこそこのシーンでは、公生に物を貰えたことが、
えみりんは内心小躍りするくらいに嬉しかったのではないかと
勝手に想像して、なかなか楽しめたりします。

(有馬くんが私にくれるなんて……はーと)みたいな。

そこに胃酸まで吐いた武士が加わっての和気藹々。
この3人はなんというか、
厳しい競争世界である音楽の同志であり、
またそれ以上に個人的に相手に対しての思い入れが強い関係であることからも、
こうした空気になる事は、
敵愾心を抱く武士にしてみれば本当に調子が狂う感じですよね。

でもこれは、というか武士が抱いてきた
憧れも、公生を象徴する蜃気楼のような印象も、
執着も、敵愾心も、失望も、
すべて彼の内だけで育ったものであり、

また同時に、彼が公生に影響されてこれまでピアノに向き合ってきたこと、
そのすべての顕れでもあるわけですよ。

武士が公生に持っていたイメージが、武士の中での公生を形作り、
相座武士にとってのピアノとは、偏にそれに基づいたモノだった。

だからこそ、
かつてのヒーローに失望して心が揺れて、
自身が不調になることを知っても、そこから抜け出せなかった。

しかし凪の連弾で武士自身が「留まっている」ことを痛感し、
そんな自分への妹の精一杯のエールに感じるモノがあったからこそ、
武士は自身が留まっていることに対しての
ある種“けじめ”を持とうと決意したのだろう。

それは彼自身の心とピアノで以って、
公生への執着から離れることが、自分にとっての必要であることを、
このコンクールが始まるまでに見出していたということなのでしょう。

だからこその、決別の舞台。

ここでもう一度先程のタマゴサンドの和気藹々のシーンを語ると、
武士は公生に対する幻想からの決別を心に決めて、
このコンクールでの公生との対決に臨んできている訳ですが、
公生はこの遣り取りからも見受けられるとおり、
武士の中のイメージの公生とは別人なわけですよね。

だからこそ、調子を狂わされるという事態になる。

一番、有馬公生を解っているのは自分だと思っていた。のに。

武士はそう述懐しますが、けれどそれが幻だということが、
タマゴサンドでの遣り取りで、武士の心象としてだけでなく、
現実観としてに描かれているという訳なんですね。

更に述べると、武士が抱いていた公生のイメージとは、
彼のヒーロー像ですね。
硬質で不屈、孤高。

かつての公生に武士はそれを感じ、
そのスガタに自身のヒーローを視たからこそ憧れ、
だからこそ執着した。

そして自身の内にある理想像を追及する自分と、
理想のスガタである公生を同一視に近似した対象とした。

その武士の中での観念と、実際の公生との必然的な行き違いが、
毎報音楽コンクール以来の武士の不調の原因となったのですが、

しかしそれも今となって武士は気付くわけですね。

自分の内の一方的な理想像である公生の現在の実際と、
自分の視ているモノは別モノであると。

それは音楽性でもあるし、有馬公生という一人の人間にしてもである。

紘子さんが語っているように、
競争者はライバル同士でさえ支え合う。
公生の音に人への想いという『感情』を載せる演奏は、
確かに武士にも届き、
彼もまたその演奏に自らの『意志』を載せる。

そうさせたのは、他の誰でもない公生。
武士のピアノと、彼のこころを拡げたのは、
まぎれもなく公生だった。

昔も、今も。

かつての幼い日の武士は、
退屈を嫌い、自分の負けん気に突き動かされて
ピアノを成長させてきていた。

その彼は、先日まで自分の内のヒーローと、
実際の公生の在り方とで苦しみ、
そんな生来の輝きを曇らせていた。

凪はそんな兄のスガタに悩み、
力になりたいと思ってきた。
自分のヒーローが力と輝きを取り戻して欲しいから。

このコンクール予選。
武士の演奏曲「ショパン エチュード 作品10-12 《革命》」

自らの捉われる幻想という殻を破って前進し、新たな輝きを掴み取る、
まさしく武士にとって『革命』の一曲となった。
この選曲にも、武士の決別への意思を感じてなりませんね。


そして同時に、凪が憧れ、慕うヒーローが帰ってきた瞬間でもあった。

またそれと対比するように、
演奏後に武士は自分の内に在った
ヒーロー像としての公生に別れを告げる訳ですが、
これは公生を自分の心象のなかの理想像としてではなく、
一人の人間として認めることができた、という事なのでしょう。

ここから武士と公生の関係は、新たな先を描き出す。

四月は73

原作であった
「生涯の仲間と出逢う」
というナレーションが省かれていたのが惜しいですね。
武士から公生への認識が改まったことで、
彼らは本当にこの時『仲間』になれたというのに。

また自身の公生への執着という殻を破って、
自分の意志で、自分の為のピアノを弾くことを選び掴み取った武士。
彼にとってのピアノを弾く意味が結実されたエピソードでもありましたね。

なんか今回、憧れの対象から受ける齟齬みたいなモノと対峙する武士が、
妙に理解できてすらすら言葉が出てきたのは、
じゅーしーにとって憧憬という対象と概念が、身につまされるモノだった
という事情があったりします。
チャラ男お抱えの武士が色気漂わせるのも納得です(なんじゃそりゃ

ともあれ、コンクール予選の結果が出て、
今回は幕です。

武士、絵見、公生は予選通過。
本選ではえみりんの活躍が描かれるのでしょうか。

そして椿の恋心と受験の行方は?
かをりの容体はどうなるのか、など
まだまだ目が離せない君嘘。

あと3回!

ではまた当ブログの君嘘感想記事でお逢いしましょう。

読んでくれている方々に、いつも感謝を。
じゅーしーは幸せです。

ではでは。



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